■「作り手と出会う旅」
今でこそ「もの」に取り付かれたような生活をしていますが、そもそもは「もの」よりどちらかと言うと「ひと」が好きで、作り手に会いたかったんですね。宮本常一先生の下で竹の籠や焼き物を研究する方々と旅をする中で一番興味があったのは、地方・地域で様々な暮らしをする作り手と実際に話をしてみることでした。ところが、実際に作り手と話しに行ってみると、作り手の作る「もの」が欲しくなり、持って帰ってくる。ただ持ってくるだけでは困るので、それを売るということに必然的に結びついていきました。
作り手と出会う旅を始めたのは、今から35年前のことです。そのときは中古のハイエースに乗っていました。当初、旅の生活は友人達と始めましたが、一人二人と減っていきとうとう今では私一人。「一緒に旅をするなら車の免許が必要」ということで、仕方なく免許を取りましたが、今では車なしでは生きていけないようになってしまいました。当時はまず何よりも「これで宿の心配がなくなる」ということが一番嬉しかった。今と違って昔は駅舎や路地で寝ようが自由でしたが、やはり宿の心配が常にありましたから、車を宿にできることが何よりも嬉しかったのです。こうして車で各地をめぐるようになりました。
初めはものを見る目がほとんどなかったので、まず作り手の所に行く。行くと欲しくなってしまうんですね。たくさん買ったものを多々納さんや陰山さんといった出西窯の皆さんに買って頂いたりして、支えていただきました。多々納さんの世代の方々の時代には民藝が最盛期を迎え、私たちのやっていることを理解し、支えてくださる方々がいらっしゃいました。くだらないものを買ってしまったこともありますが、柳先生の書かれたもの伊東安兵衛さんの『民藝案内』などを手本として、次第に目を養っていきました。
ただ、いいものを紹介されている書き手の方々にお話を伺うと、意外と作り手のことを知らないし、実際に各地を回られていないんですね。作り手ではなく荒物屋に出向いたりして、直接作り手に会いに行くということが乏しかった。むしろ、私はそういった所ではなく、自分で作り手を探して会いに行くようになりました。道中、竹の籠を背負った人、あるいはアケビ蔓細工を持った人を見つけては車を止めて、その作り手を聞き出して会いに行きました。こうして各地を走り、その地域の生活を見る中で作り手と出会うことによって、段々と「もの」の背景にある生活も見えてくるようになりました。
情報が発達し、交通も便利な時代になりましたが、手仕事についてはまだよくわからないことも残っている。そういう訳で、今日まで旅を続けています。
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