能登仁行和紙 訪問地:石川県輪島市三井町仁行 2004.4.4

 富山県福岡町での菅笠作りは400年程前、伊勢の国から来た僧が川原に生えている菅を使って日よけの笠を作ったことが始まりと言われています。その後、田植えの時期に使う日よけ用として菅笠作りが行われてきました。菅は田で作りますが、男が田で仕事をするのに対し、女は笠作りという風に元々菅笠作りは女の仕事だったようです。

 

 今では民謡を歌う際に着用する菅笠を作って東京などへ販売することが多くなりましたが、作り方は何百年も前から変わりません。骨組みには竹を使い、菅は九月上旬に茎を植え、翌年の七月に刈り取り自然乾燥させたものを使用しています。乾燥機を使った菅はパキパキと折れてしまい、よい材料にはならないそうです。
 また、生活の変化から笠が売れなくなったこともあり、昭和47年頃からは菅での円座作りが始まりました。これはお茶席にて使用されるもので、中は紙の縄できつく編まれ、その縄の周りに菅が巻かれています。円座の周囲には輪状にねじられた菅が無数に規則正しく並んでいて、それがとても効果的で美しいのです。
 今回お会いした岸野さんは、笠や円座の注文を全国各地から受けて福岡町の製作者の方々に伝え、とりまとめる役目を担ってきました。製作者は50代の女性が多いそうですが小学5、6年の男女にも毎年菅笠作りを教える講習会を開いているとのことです。
 長い間様々な変遷を経てきた菅細工産業が今もこうして稼働しているということに、伝統文化を伝え守ってきた人々とこの土地の強靱なエネルギーを感じずにはいられませんでした。

 

手仕事フォーラム 武井治美