唐桟織 訪問地:千葉県館山市 2006.6.3

 南総手仕事調査の一環でこの度訪れたのが、千葉県館山市郊外に工房兼お宅を構える“唐桟織”の斉藤裕司さん。斉藤さんは四代目にあたり、静かな面持ちの中に芯の強さと自信が垣間見られ、一目会っただけで仕事が出来るなと感じさせる雰囲気のある方でした。週末午前中の突然の訪問にも関わらず、とても快く迎え入れてくれました。さすがに作業風景を見ることは出来ませんでしたが、工房内でいろいろと貴重な話をして頂きましたので、今回は斉藤さんの話を中心に報告致します。

唐桟織は斉藤さんの曾祖父にあたる初代斉藤茂吉氏が、明治の初め頃に東京蔵前に設けられた殖産所(今で言う職業訓練所)で伝習し、現在のこの地に技術を持ち帰ったのが始まりです。殖産所には埼玉県川越から“川越唐桟織(川唐)”の職人を招き、各地から集まった人々に伝授されたそうです。 唐桟を伝習した初代は印旛の出身でしたが、あまり体が強い方ではなかったので、気候が温暖で住みよく、妻の生地でもあったここ南総で仕事をやり始めたのがきっかけで今に至っています。 ところで、なんと初代茂吉氏はかの勝海舟と親交があり、そのため、武士層が中心であった殖産所に特別に入ることが出来たのだそうです。したがってこの地方で唐桟織に従事しているのは、もちろんここ斉藤さんのお宅だけなのです。


斉藤さんの工房

工房

 もともと唐桟とは唐桟留(とうさんどめ)の略称で、舶載された木綿の縞織物のことです。桃山時代にオランダ船でインドから輸入されたのが始まりと言われ、時の権力者に重宝され、またその後江戸時代の天保の改革により絹織物が禁止されると一気に、とくに商人層に流行しました。唐桟織は80番手から120番手の細番手の木綿糸(木綿は絹と逆で番が大きくなる程に細くなります)を使い、アイ、ヤマモモなどの植物染料による糸染めが特長です。



材料

伸子張

縞帳

 唐桟を織る道具の一つ、伸子張という名の機具を見せて頂きました。織っている最中に、生地を横方向に張って布の幅を保つためのものですが、こちらでは特別に幅の違うものに対応するように長さ調節が出来ます。柳悦考氏考案のもの。斉藤裕司さん、そして三代目の父広司さん共に柳氏に師事しています。 さらに、職人の宝でもある縞帳を特別に見せて頂いたのですが、どれもこれも溜息の出る程素晴らしく、格好良いものです。色の配列、組み合わせのバランスがなんともいえません。張りのある生地感と相まって、縞の魅力を引き立てます。この縞柄は日本の宝だと言っても過言ではないのでしょうか。天正(テンショウ)、七々子(ナナコ)、かつお縞、五十鈴(昔、朝日グラフで女優”山田五十鈴”が着ていた縞の着物のから名を取っています。先代が命名したそうです)……柄名も粋なものばかり。工房内にあった 座布団も唐桟織で、とても贅沢な座布団です。

 縞柄のなかでも“かつお縞”があまりにも素晴らしかったので、私を含め同行者皆で盛り上がり、斉藤さんに無理を言って、来年に向けて“かつお縞”の服地を一反注文させて頂きました。初夏にぱりっと“かつお縞”の半袖開衿シャツ、いまから楽しみです。

斉藤さん、ありがとうございました。

 

手仕事フォーラム 鈴木修司


座布団

斉藤さん