近畿手仕事調査

信楽焼 訪問地:滋賀県甲賀市信楽町 2009.7.7

 伊賀丸柱へ行くために、いつもタヌキたちの町を通り抜けていながら、なかなか調査の機会がなかった、信楽焼。規模の大きさもあって、どこから手をつけてよいやら、と避けていたところがありました。それでも、現状を少しでも探ってみようと、いくつかの窯元・製陶所と、昔ながらの窯場の風情を残す長野地区・窯元散策路を訪ねました。

 

日本六古窯の一つに数えられる信楽では、古くは壺や甕、室町時代になって茶器、その後、火鉢、日用雑器など、大物を中心にあらゆるものが焼かれてきました。火鉢が使われなくなった昭和初期以降は、植木鉢や食器、建築用タイル、そしてタヌキの置物などが中心になったようです。現在、百三十あまりの窯 元が、全国に品物を供給しています。

町を貫く国道沿いも、信楽駅の周辺も、どちらを向いてもタヌキ、タヌキ、タヌキ。 5メートルを超える巨大なものから、てのひらに乗るサイズまで、何百匹もがこっちを向いて整列しています。タヌキの脇に、植木鉢や傘立て、店内には壺や器類、というお店が多いようです。まず訪ねたのは、主に料理店向けの器を扱う窯元でした。

土鍋から酒器まで、数人の作家による作品が所狭しと並べられています。が、残念ながら、手仕事フォーラム的な視点--伝統のよさを残しながら、個性を出しすぎることなく、確かな技術によってつくられた堅牢で美しい品物--で手にとってみたくなるようなものは、ほとんどありませんでした。

 
 
 次に向かった長野地区は、信楽駅から続く焼き物の町。「ろくろ坂」「ひいろ坂」「窯場坂」と名付けられた三つの坂を中心に、散策路として案内板などが整備されています。一帯のほぼすべてが窯元のようで、ギャラリーや古い登り窯が点在しています。坂のある町というのは、すてきな景観をつくりだして いる場所が多いですが、近くに遠くに煙突が見え、屋号をつけた古い工場が立ち並ぶ景色は、なかなかよいものでした。
 この地区にある窯元の一つは、移築した明治時代の講堂を移築して、展示販売をしていました。内部に置かれた重油窯が、一つの展示室のようにして使われていました。かつての製陶工場を再現した雰囲気と、懐かしい感じのする建物は興味深かったですが、扱われている品物は、フォーラムの方向性とは異な るものでした。

 

さて、変わってこちらの職人さんは、何をしているのでしょうか。  直径1.5メートルほどのロクロに陶土を広げています。少しずつちぎって棒状にした土を置くと、てのひらを使い、丹念に押さえながらのばしていきます。お皿にしては、ちょっと大きすぎます。

そばに、もう少し製作が進んだものがありました。もうお分かりでしょうか。  こちらは、浴槽を専門につくっている工場です。温泉旅館で近年、「露天風呂付き客室」や「展望風呂付き客室」が急増していることも追い風に、旅館や一般家庭向けの浴槽をオーダーメイドでつくっています(排水管の位置によって穴あけをすることも、受注生産しかできない理由です)。

 直径1〜3メートルもあるような超大物を、このように手仕事で成形しています。空気が入れば、焼く時にひびができたり割れたりしてしまいます。これくらい大きなものでは、失敗のショックも大きいでしょう。大量の水を入れて使いますから、特に底は丈夫でなければなりません。それにしても、いくら大量生産するものでないといっても、このような大物を地道に手でつくっているのには驚きました。

 

 滋賀・三重県境をはさんで背中合わせの信楽と伊賀。あくまで、手仕事フォーラムの視点での評価ですが、伊賀丸柱は、時流を見極め、個性を出しながらも伝統から離れず進んでいる印象です。これに対して規模の大きい信楽は、もはや何でもあり、で、時流を見極めるよりも流されてしまっていたり、自己満足していたりして、方向性を探りかねているように見受けられました。タヌキが整列する景色も最初は新鮮ですが、そのうち「一体、誰が買うのだろう」と切なくなってしまいます。隣り合う二つの地域の違いをはっきりと知ることができた調査でした。

(賛助会員 大部優美)