甲信越手仕事調査

木曽福島の曲物 訪問地:長野県木曽福島 2007.4.1

愛知県瀬戸地方の調査(愛知県立陶磁資料館、瀬戸蔵ミュージアム、瀬戸本業一里塚窯、小春花窯など)を終え、次に目指すは長野県松本市。一路松本を目指し中山道と平行して走る国道19号を北上します。その途中には旧街道沿いに馬籠宿、妻籠宿、木曽福島宿、宮の越宿、奈良井宿とほぼ定間隔に宿場町があり、往年の中山道の賑わいを感じることが出来ます。 現在はほとんどの宿場が観光地化し、別にここでなくともと言ったお土産物屋が軒を列ね、また整備された大型バス用の駐車場がすぐ近くにあったりなど、景観が微妙に崩れ、少し残念に思うこともちらほらありました。

 しかしそんな中でも嫌味のない最も美しい街並が残っている宿場町が、奈良井宿です。他の宿場に比べると、そこに住む人々の生活をリアルに感じることが出来るのです。実際に聞くと、やはり他の宿場では、街道沿いの建物を住居としてではなく、商店、飲食店などの商業施設として使うことがほとんどだそうです。

 

 そして今回の調査の為に訪れたのが、その奈良井宿にある「小坂屋漆器店」。同行者である久野氏も何年振りかの訪問で場所もうろ覚えでしたが、地元の方に何度か道を訪ねつつ、途中で思いがけずの収穫もあったりと(湧水場を発見!水汲みスポットがまたまた増えました)、調査の旅らしく目的地に辿り着くことが出来ました。到着すると、夕方前の何かと忙しい時間に関わらず、ご主人の小島貴幸さんは笑顔で迎えてくれ、嫌な顔ひとつすることなく工房まで案内してくれ、逆に嬉しそうにいろいろと貴重なお話をして頂けました。
こちらの漆器店は、曲物、漆器、蕎麦道具などの製造、修理から販売まで幅広く手掛けています(ここ数年は主に蕎麦道具の製造、修理が主な仕事になっているそうですが)。木地作りから、曲物、はたまた指物まで、そして漆塗りとすべてをこなし、一貫生産にこだわります。かといって高価なものを扱っているわけでもなく、あくまでも生活の道具を生産し続けることにこだわり、今ではほとんど見られなくなった”本来あるべき姿の漆器店”なのです。もちろん並々ならぬ苦労と信念があってこそ成り立つことなのですが。


小坂屋

工房内
 ご主人は四代目(漆業は、三代目)にあたるのですが、分家なので本家を含めるとより古くまで遡ることができるのではとのことでした。木曽の曲物の歴史は400年とも言われ、江戸時代の初めに高山より伝わります(そしてここから、曲物では木曽と並び名の知れる大館に伝わっていきます)。主な原材料である檜は、その頃に江戸幕府の命により植林され、今では天然林となっていますが、これが“木曽檜”の始まりだそうです(大館になると、秋田杉が原料として有名ですが)。そして江戸の中頃に塗り(漆)の技術が京より伝わります。また木地作りに関しては、つい最近の5,60年前に東京の木地屋からの下請けで始めたそうです。こうして現在の一貫生産に繋がっているわけです(本来、漆器はすべて分業が基本)。しかし現在ではこの奈良井宿で曲物を製作するのは、小島さんの父上である三代目の俊男さんを含めたったの三人になっています。

漆を乾燥させる為の部屋。
漆は性質上、湿気がある程に乾燥する。

漆器がむらなく乾燥するように回転させる為の、
室外のゼンマイ。
 ここで一貫生産にこだわる理由というのは、「仕事を任せられたからには、半端なことは出来ない」、「作りたいものを作る為には、すべて目の届くところでやるしかない」とのことでした。貴幸さんと父俊男さん、何人かの職人さんを抱え、協同ですべての工程に携わります。 例えば、主な商品である蕎麦道具にしても、随所にこだわりが窺えます。蕎麦道具は扱いがひどい為(本来は、それが普通)、丈夫でないと意味がなく、何よりも耐久性と使い易さを目指します。あくまでも道具として商品を考えています。科学的な材料(ポリサイトなど)は使用せず、木釘で組み立て、採算が合わなくとも塗りの回数や手間を省くことなく、作るものに職人魂がこもっています。

修理中の碗

修理ひとつとっても、全く手抜きがありません。大阪のとあるうどん屋から依頼され、漆碗の塗り修理をちょうどいま受けているのですが、その修理途中のお椀を片手に熱くご主人は語ります。いままでそれらは輪島に修理に出されていたらしく、そのひどい状況に憤りを感じているとのことで、塗りを一度すべて剥離させてから塗り直さなくてはならない、という修理の一連の説明をしてくれました。 自分のことを“べたべたの職人”だからと、笑いながら話す奥に、仕事への強い情熱と自信が窺えました。「安かろうが割に合わなかろうが、それが注文であれば、妥協することなく自分の仕事にする」、「注文があれば、何だってやりますよ」と、これぞ職人と言った語りには、逆にこちらが勇気付けられました。また「中国製品とだって、共存していく」とも語っていました。四代目のようなタフで志しのある職人、作り手がいれば、これからの手仕事の未来も明るいのではないかと、気持ちが晴れやかになりました(現場に行くと、作り手の高齢化、後継者不足、安価な外国製品の氾濫、様々な経済的な障害などを目の当たりにし、暗くなって考えさせられることが多いのですが)。まだまだ小島さんには、良い仕事を期待出来そうです。 彼のような素晴らしい作り手にこの旅で出会えたことを嬉しく感じ、これからも自分の出来る限りに彼等をバックアップし、美しい手仕事を紹介し続けていかねばと、手仕事フォーラムの使命を再確認できました。手仕事の明るい未来の為に益々やる気が湧いてきました。

 

手仕事フォーラム会員 鈴木修司