野田利治さんの竹細工 訪問地:長崎県佐世保市 2007.2.22

異国情緒漂う佐世保市街地から唐津へ向かう途中、野田竹細工店を訪れました。

 

野田竹細工店の野田利治さんは手仕事フォーラムブログをご覧の方であればご存知の方も多いかと思いますが2005年の日本民藝館展に出品した段物魚籠が日本民藝協会賞を受賞しました。手仕事フォーラム代表の久野さんが店内にあった古い段物魚籠を見つけ新たに注文したものを館展に出品し、受賞に至りました。その時の賞状と写真が様々なカゴと共に額に入れられ飾られていました。
野田さんの作る竹細工は地域の生活に根ざしたものから装飾品のようなものまで幅広く、その他にも注文で様々なものを作っています。全体的に荒っぽさもありますがとても力強く丈夫な籠ばかりです。70代前半ですがまだまだ現役で続けられそうな雰囲気で今後にも期待が持てます。
今回は野田利治さんが作った竹籠を解説を添えて紹介していきます。


野田利治さん



野田竹細工店内にある看板



段物魚籠、福岡県八女地方で作られていた同種のカゴの名称で、野田さんは数年前にある釣り人より持参した見本で注文され初めて手がけたということである。二段のカゴ入れ組で本体に入ることから三ツ入れ組となり、更に蓋が被るので都合4つの籠から構成され、まるで弁当箱が巨大化したようなこのカゴは、車での魚釣り、レジャー用にも適しているし室内が広ければ収納にも役立つであろう。


配達カゴ→本来テゴともいうが実際使われるようになり、注文がくるようになる時代は大正末からであろう。よって、その頃には一般的な広い言い方としてカゴという名がこのような伝統として継続されたものに名付けられるようになった。
茶碗テゴ、底編が四つ目となり厚手の幅広のヘゴを使うのは重量と水切れを考慮しての伝統である。また、重さに耐えるために持ち手が二本になった。元々は一本で大きめのカゴにはこのように二本となる。また、二本の持ち手を束ねていくくるのには今ではビニールで巻かれるが、元々はツヅラヅルが用いられたが材料の枯渇と採取する人間の不在により籘ヅルが使われるようになった。
割と簡単に良く使われやすいので、この地方で用いる柄付きカゴ=柄テゴである。みかんの収穫やその他にナバ=キノコや農作物の収穫時に持参され、今でも便利で使われている。ポリ製と違って竹の質の柔らかさが作物を痛めない。
腰テゴといい縁から底まわしに力竹を通し縁と全体の空間に紐を通して腰に縛り付ける。反面が腰に当たるように平面で外面は収穫物がより入るように膨らんだ用から出た美しい造形
じょうご、一般的な言い方では斗の口ともいい、1斗から2斗入れの米などの穀物を袋や他の容器に移し替える際のつなぎの役割をする。テンガロハットのような形が独特で現代ではシェードとして使われるなど用途を変えて継続可能な手仕事の品となろう
米や麦などをふるうために作られた平ザル。本来は南方から鹿児島に掛けて作られ使われているバラと呼ばれる農具であるが平たく持ちやすいので九州一円まで広がり作りやすい編み方によって各地でも作られてきたと教えられる。鹿児島と相違するのは縁巻きにはツヅラがないため籐ヅルとなる。
ご飯ジョケ、昔々は本体に布を敷いて朝炊いた昼夜分のご飯を入れ、軒先に吊るした物だ。竹編の通風性により腐らせない。そして、土間やあぜ道に置くために足が二本取り付けてある。着色した竹を模様編にして挿すのはご飯という食べ物が入っているという目印の代わりでありシャレであろうか。

カレテゴ、カレとはカルウすなわち背負うという言葉のいい方であろう。上部の口が斜めに立ち上がっているのが特徴だが恐らく福岡県浮羽方面で作られていたこの手の背負いカゴを誰かの注文で作るようになり今もこのような形で作られているのではないか。また、斜めに縁づくりがされているのは背負ったままの体勢で内に収納した肥料や収穫物を出しやすくするためのものであろう。

 

手仕事フォーラム 副島秀雄
解説:久野恵一