南薩摩の箕 訪問地:鹿児島県日置市 2007.12.21

 

手仕事調査で初めて南九州を訪れました。以前より魅かれていた土地なので、旅の前から期待で心が膨らんでいたのですが、昨年末、待望の鹿児島入りを果たしました。
今度の旅も手仕事フォーラム代表の久野さんに同行。いつものことながら内容の濃い調査となり、様々なことを学びました。中でも、箕の作り手に“偶然”出会えたことは、めったにない貴重な体験でした。以下にその報告をいたします。
鹿児島県の竹細工の作り手を訪ね、その後に同じ県内の苗代川焼の窯元を訪れました。その途中、折角だからと、山の裾野に拡がるかつて箕の生産地だった、ある集落に立ち寄ることになりました。久野さんもここ数年訪れていないらしく、当時の作り手のお宅を探している間に、入り組んだ道が交錯する集落の中で道に迷ってしまいました。しかし何と……迷っている内に集落の一番下まで下りてしまったのですが、その時、偶然に見上げた一件のお宅の軒先に、箕の骨組みとなる弓形の木が見えたのです!

すでに無くなったと思っていた“箕”の確かなる気配!それを感じとった久野さんは一目散にそのお宅目指して車を飛ばしました。そしてはやる気持ちを抑え切れずにそのお宅に飛び込んだのですが、さすがに家の中にいた老婦人もいきなりのことで、少し戸惑っていました。しかし、久野さんがていねいにいきさつを話すと、すぐに私たちの突然の訪問を理解してくれて、 「まあ座りなさい」と縁台に招かれ、お茶までいただき、それから箕について話をしてくれたのです。
そうこうしているうちに、何事?と家の様子が気になったご主人が、近くの畑より軽トラックで戻って来ました。やはりご主人も始めは “?”という感じでしたが、奥様が簡単に私たちのことを説明してくれたので、箕の作り手であるご主人ですからそこからは話が早く、すぐさまお互いに箕の話で盛り上がりました。

ご主人は昭和13年生まれ。中学の頃から農家と兼業で箕の仕事を続けているとのことで、ご主人で5代目にあたるそうです。この集落では一番古くから箕作りに携ってきた家系であるとのこと。そしていまではさすがにほとんどやってないとのことですが、以前は仏壇の行商と合わせて、製作した箕を売り歩いて鹿児島中を廻っていたそうです。

この地方の箕は、基礎となる弓形の枠に枇杷の木を使用し、本体にはキンチク竹(笹竹)と桜皮と藤カズラなどを編み込み、それらをツヅラで留めることで全体の形を成しています。

軒先に干された枇杷の木の枠

干された藤カズラ

用途から自然に生まれた美しくおおらかな形状がとても魅力で、また、いくつかの素材が複雑に編み込まれることで生じる独特の材質感が印象的です。手仕事ならではの暖かさに加えて、何か気品さえ感じさせるそのしっかりとした出来栄えに、感動を覚えるほどでした。

箕作りには相当な技能が必要とされるのだと、久野さんが話してくれました。
他の編組品では、例えば竹細工であれば竹だけ、樹皮細工であれば樹皮だけ、他もおおよそ同様ですが、箕に関しては、あらゆる素材を使いこなさなくてはならないのです。竹や樹皮、または蔓などを採集することから始まり、それを使える材料に仕込み、その材料を使って箕を組み上げる(編み込む)……この完成までの行程すべてを、ひとりでこなしてしまうのです。そうでなければ万が一に修理が必要な場合に対応できないとのことで、実際に修理中のものをご主人は見せてくれました。

材料の採取時期は冬場とされていますが、例えば桜の皮は9月、枇杷の木は12月だそうです。
箕作りは、以前は主に農閑期に行われていました。中でも、8月始頃(農繁期の前)から製作されるものが造りが良いとされているそうで、その頃になると盛んに西郷市など各地の市へ売りに赴いていたとのことでした。


箕の制作に使用する道具
写真左→上が寸法を測るもの。左より、編み込みに使用するキリ状の道具、材料採取に使用するカマ、ミガタナと呼ばれる包丁のような形の木製の道具などなど、それらの大半はご主人の手造りです

久野さんの話では、箕の形状は青森県岩木山から鹿児島のこの地方まで、ほぼ同じ形状だそうです。おそらく京都周辺の箕が始まりで、北や南に広く日本各地へ伝播していったのではないか、元を辿ると朝鮮から伝わったのではないか……とのこと。しかし材料は地方それぞれで違いがあり、青森では竹の代わりに主に樹が、宮城まで下がると鹿児島と同様に、種類は様々ですが竹も使用されます。また各地の箕には地域性があり、生産地の北限は青森、南限は鹿児島ですが、奄美以南(沖縄を含めて)はバラ(丸バラ)と言うザルを使用し、箕は使用されないとのことです。また中国地方でも箕はあまり見られず、代わりに板を使うそうです。京都周辺よりどうのような経路で箕が伝わったのか、興味深い問題です。


ところで、軒先に狸の毛皮が内側を表にして吊るされていましたが、こうしておくとカラスが怖がって近寄らないのだそうです。こういった風習を目の当たりにして少し驚き、今も残っている各地の習わしを知ることができて、実際に現地を見て廻る調査は貴重だと、改めて感じました。

最後に、「あんたが日本の宝ですよ」と久野さんがご主人を褒め称えると、本当に嬉しそうに「ありがとう、ありがとう」と喜んでいました。その笑顔がとても印象的で頭の中に今も残っています。こういった方々を探し出し、貴重な技術や文化を正しく次に繋げていくことが、まさに手仕事フォーラムの目指すところです。

 

手仕事フォーラム 鈴木修司


玄関近くの木にはまだ青いバナナが縛られていましたが、熟すのを待っているとのこと。南国を感じ、改めてここは鹿児島なのだ、と思うのでした。


こちらはご主人に軒先に立って頂いての記念撮影です。 調査のきっかけとなった枇杷の木と、
箕作りの道具を携えたご主人。
そして干し柿と狸の毛皮と布団が干されたお宅。
そして突き抜けるような青空!です。