「南東北手仕事調査」2 訪問地:宮城県大崎市岩出山、鳴子町、山形県大石田町次年子 2005.5

●優れた特産品と地域の活性化

 

 町内合併して大崎市となった岩出山町は、東北各地の地方町とさして変わらぬ街並みで、特に古い町屋、家並みや手仕事が残っているというわけではありません。ですが、どこか他とは相違する、大げさに言えば文化が漂う感じがしてなりません。仙台城が築かれる以前、伊達政宗の城下町だった歴史がそう示しているからかもしれませんが・・・。こんな小さな町に、岩出山納豆、麩、凍み豆腐、かりんとう、焼き唐がらしといった推薦したい特産品が結構あり、また、かつて東北地方一帯に出荷された篠竹細工があります。この地方の町が活性化できる条件は、他の地域に比べてはるかに高いと思います。町内の国道沿いにある「道の駅」は、この地の産物を豊富に揃え、生鮮野菜、米、味噌などの食料品が所狭しと並んでいて、私の知る限り、日本全国の「道の駅」の中でも5本の指に入るものと思います。地元の人や観光で立ち寄る客でいつ寄っても賑わっています。「道の駅」を町の中心部と連携させていくといった方策次第では、この町は、地域の再活性化がかなうと考えられるのではないでしょうか。

●篠竹細工の米とぎ笊(ざる)

 

 町内には4、5軒の岩出山竹細工を扱う店があり、東京を含む各地の民藝店は現在も利用しているようです。しかし今は、この地でつくれる竹細工ばかりでなく、よそからも仕入れているので、岩出山産と間違えて民芸店などの店頭で売られているのを見かけます。この地方では篠竹を用いるので女性でも扱い易く、昔から手内職としても盛んでした。ひとりで何でもつくるというのではなく、それぞれの品毎に専門のつくり手がいて、いずれも量が求められました。技術的に難易度が高いものに、高台付といった風の、はかまの台をとりつけたようなご飯入れがあります。今それをつくれるのは、町の伝統工芸センターで指導員を長く続ける職員一人だけのようです。価格が安く、使い勝手のよいものとしては、米とぎ笊を実用品として推薦したいものです。私もひとつ購入しました。

●ゆるやかな鳴子の湯

 

 さて、日が長くなったせいか7時近くなってしまいましたが、これから向う鳴子はここから10分もかかりません。今日の宿は長いつきあいの鳴子の「みやま旅館」です。隣近所に住む漆器づくりの小野寺公夫氏が、宿の当主板垣氏と揃って待っていてくださいました。両氏とも手仕事フォーラム会員で、一昨年の第二回手仕事フォーラムの集いは、ここ、みやま旅館を主会場に行いました。偶然にもこの日、そのフォーラムに参加してくれたグリーンツーリズム運動の主メンバーの集まりがあり、合流して深夜まで宴が続いたのでした。もちろん、くせの無いゆるやかな泉質の温泉にも3度も浸かりましたが。

●小野寺さんの漆の仕事

 

 翌朝早く、前夜の深酒もなんのその、さすがは仕事人の小野寺氏が私を呼びに来て、彼の工房へ足を運びます。漆器の工人たちは、その作業中は寡黙を貫かなければ仕事がはかどりません。ですから、仕事を離れて喋り出すと一気に話しだします。東北人らしい朴訥で重い口ぶりの彼も、話し出すと止まらず、ついつい時間が経ってしまいます。 浅椀が以前と較べるとやや形を拡げていて安定感があり、工房にあった手塩皿と、小野寺さんが得意とする片口も含め、わずかですが仕入れさせていただきました。彼の仕事には、一昨年のフォーラムに合わせて鳴子椀と名付けた大ぶりな黒漆の目弾椀があり、これも加えてフォーラム主催「手仕事逸品の会」に出品することにしました。

●次年子(じねんご)のイタヤ細工

 

 この日の工程は山道などがあるので時間が貴重、9時にはおいとまし、山形県の尾花沢へ向う山岳国道を走ります。残雪が所々にあり、新芽が若葉へという時期で、気持ちのよいドライブです。尾花沢から大石田町次年子へ、目指すは次年子のイタヤ材を用いた箕(み)づくりの海藤さん(この集落は海藤さんだらけです)。連絡せずに不在覚悟で訪ね、やはり山菜採りで奥山に入っておられ不在でした。ちょっとほっともします。在宅なら出来ている製品のいくつかは購入しなければなりません。しかし、購入しても今の生活には実用から遠のいている箕、手間から考えれば価格は安いのですが、それでも高額な品となり、販路は困難なのです。イタヤを用いた箕は、秋田角館、大平、青森岩木山麓でもつくられてはいますが、次年子の箕の形は釣鐘型がはっきりし、白味のイタヤ材、差し込んだ赤味の桜皮とが市松模様を織りなした美しい造形物といえます。いずれ、逸品のコーナーで紹介します。

 

手仕事フォーラム 久野恵一