論田の風景
箕を探しに
平成12年(2000年)、日本民藝協会が「手仕事の日本展」を金沢で初めて開催するにあたって、周辺の手仕事を探ろうということになった。実はその8年前、私は金沢市周辺で箕(み)の製作者を探しまわったことがあった。 箕はお米などの穀物を入れて振って、ゴミと穀物とに分ける道具。鹿児島県薩摩半島から青森県弘前の岩木山麓までの列島各地に箕をつくる場所が点在している。それらが共通して釣り鐘のようなかたちをしているのは、農作業にいちばん適したかたちだからだろう。
私は富山県氷見(ひみ)市から石川県羽咋(はくい)市へと抜ける街道の県境手前にある集落、熊無(くまなし)が昔から箕をつくっていると耳にしたので、そこを訪ねると、農繁期の昼間だったので、作業しているのはわずか一人だけだった。しかも、残念ながら、その人の仕事そのものはあまり良くなかったのであった。
当時の記憶をもとに、その人は健在だろうと熊無を目指したが、すでに亡くなっていた。そこで集落の人に尋ねると、このあたりでも5〜6人の人が箕をつくっているとのことだった。だが、あいにくタイミングが悪くて、その日は製作者の誰とも会うことができなかったのだ。街道を150メートルほど戻ると、地域の農協があって、「箕を販売しています」という張り紙を目にした。農協は閉まっていて中に入れなかったが、私は思うところがあって再び熊無に戻った。すると、以前は箕づくりをしていたという人が昼休みで集落に戻ってきていて話を聞くことができた。今、その人は箕をつくっていないけれど、箕は道をはさんで向こうの山側に論田(ろんでん)という地域があって、そこでもまだ箕をつくっている人が6〜7人いるという。論田には上手な人もいるという話だった。そう聞けば、当然その人に会いたくなるもの。それでは、行こうと論田へ向かったのだった。 |