Kuno×Kunoの手仕事良品

#002[小鹿田焼の飛び鉋] 大分県日田市2006.3.3

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 たとえば茶碗や皿の場合、胎土(素地そのもの)を成形し終えてから、高台(底に付けられる台)のかたちをつくる。その際に用いる道具が鉄製の鉋(かんな)で、土が半乾きの状態で表面を削り落としていく。しかし、ちょっとしたタイミングのずれやカンカン照りの太陽が当たって土が硬くなってしまうことも。そんな時に鉋を当ててもはじかれてしまうのだが、ロクロが回転しているため、なんとなしに削れていた。近づいてみると鉋の削り跡が飛び飛びに残る「飛び鉋」紋様が目に入った。と、こんなふうに、「飛び鉋」はたまたま生まれたものであり、偶然性を技法に置き換えたともいえる。  江戸の幕末期には大雑把な「飛び鉋」が瀬戸、美濃、信楽、伊賀など日本各地の窯元で見られたようだ。現代の「飛び鉋」は化粧掛(外観を白く見せるために白土の陶土を胎土の表面に薄く掛けること)をしてから鉋を飛ばす。すると白土が取れて中の地肌が現れて紋様になるのである。これは朝鮮半島から入ってきたものの中に見られる技法だが、当時の「飛び鉋」は胎土に直接紋様が彫られたもの。それが佐賀県や長崎県に無数に存在していた九州の窯元、さらには大分県日田市皿山、いわゆる小鹿田へと伝わったのだと想像する。昭和30年以降まで陶業のみを生業とせず、農業や林業とともに半農半工の暮らしを立てていた皿山の陶工が現金収入を得ようと九州各地のどこかの窯場へ出稼ぎに行った際、「飛び鉋」を目にし、あるいは携わり、自分の窯へと技法を持ち帰ったと推察されるのだ。そしてここ数十年来、この「飛び鉋」は小鹿田焼の特徴的な紋様とまで言われるようになったのである。

 そもそも小鹿田焼の「飛び鉋」は昭和29年、イギリス人の陶芸家、バーナードリーチさんが皿山を訪れ、称賛したことにより全国に存在が知られることとなる。リーチさんの著書によると、中国宋時代の「飛白紋(ひはくもん)」と同じ技法で生まれる紋様「飛び鉋」がなぜ九州山奥の集落に残っているのか興味を覚え、自分の目で確かめたかったのだという。彼を感銘させたのは、何より際立った小鹿田の「飛び鉋」特有の美しさであった。小鹿田窯の土は赤みの強い陶土ゆえに、焼くと黒くなる。その上から化粧土の白土を掛けると黒とのコントラストで白土がきわめてきれいに見えるのだ。加えてこの土は砂気が少ないので、深く細かい紋様を彫れる性質を備える。そのため自然と目を奪われる連動感や躍動感、力強い美がおのずと表出するのである。

 小鹿田の陶工は仕事の工夫から「飛び鉋」の打ちやすい道具を開発した。おそらく最初は鋼(はがね)の鉋を削って用いていたのだろうけれど、やがて柱時計のぜんまいに目を付けた。ぜんまいのバネは鋼を薄く伸ばしたものだから弾力性に富み、とても飛ばしやすいからだ。ぜんまいの先端を尖らせるのだが、その尖らせかたによって「飛び鉋」の雰囲気が異なる。道具の微妙な違いの他、技術力の差、力の入れ具合などにより紋様に個性が出てくるのである。小鹿田には10軒の窯元が集まるが、それこそ「十人十色」。一目で誰の「飛び鉋」かがわかるほど個性が生まれてくるのがおもしろい。

 窯元の中でも「飛び鉋」という仕事をもっとも意識させてくれるのは坂本茂木さん(1937年生まれ)だと思う。彼のもつ本質的な技術力、芸術的センスは傑出している。自分を主張するつもりはないのに人を惹き付ける「飛び鉋」を打つのだ。その技術は何万回、何十万回と「飛び鉋」を打ってきた経験で会得したものだろうけれど、彼の優れた造形感覚がこの紋様と合致していたとも感じる。  というのも茂木さんに話を聞くと、どんな「飛び鉋」を打ちたいかと意識はしていたと言うのだ。彼の道具はとても細くL字型に曲げているのだが力の入れかたが非常に難しい。指や手にも負担がくる。それでも「飛び鉋」をこなしたいという彼の欲が道具の扱いにくさを克服して見事な紋様を打たせる。つまり彼の内側から生まれる紋様が私の心を捉えるのである。

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写真は柳瀬朝夫さんの仕事風景

 坂本茂木さんは「飛び鉋」を数えきれぬほど打ってきたが、思わぬ紋様が現れたこともあった。たとえば土が軟らかくて鉋が入らず、深く彫れすぎて「飛び鉋」が重複したり、逆に土が硬くて鉋がはじかれて、ガリガリと彫ってしまったことも。私はその偶然から生まれたおもしろい紋様を「抜き鉋」と名付けた。そして次の窯出しから茂木さんが意図して「抜き鉋」をつくりだしてきたのには驚き、彼の凄さを改めて思い知ったのだ。  こうした焼き物は本来ならば優れた芸術的作品のような個性あふれる作品ともいえるだろうが、それを一般の日用品としてつくられることが小鹿田焼の素晴らしさであり、その大きな流れは茂木さんが表したものだと思う。

 

(語り手/久野恵一、聞き手/久野康宏  写真/鈴木修司、久野康宏)