手仕事調査Kuno×Kunoの手仕事良品

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#025 [永見窯の器]島根県三刀屋町 2008.02.29

手仕事フォーラムの発起人でもあり、手仕事フォーラムの有力な手伝い人であり、つくり手である永見克久君の仕事を紹介する。

出雲民藝館での出合い

 約25年前、島根県出雲の民藝館を私はたびたび訪れていた。その際に、出西窯の、当時の代表であり、出雲民藝運動のリーダー、多々納弘光さんから、出雲民藝協会に属するメンバーの中に、若い有望なつくり手で、民藝運動に非常に熱心な人がいると言われた。この熱心な人が永見克久君であり、出雲民藝館には彼のつくった物を展示しているので、見てくれませんかと誘われたのだった。 その後、たまたま出雲民藝館を訪ねた時に永見君がつくった物が展示してあった。多々納さんと一緒に見て「久野さん、どう思いますか?」と聞くので、「はっきり言って、私の嫌いな焼きもののひとつです。個人的な仕事を目指しているようでいて、できていない。中途半端な仕事だ。それにつくっている物が稚拙だ」と答えた。
 永見君は山陰を代表する陶人、船木研児さんのもとで修行をしていた人だという(船木さんの窯は「布志名窯」という伝統的な窯で、船木さんはバーナード・リーチさんの直弟子でもあった。当時は民藝派作家として有望視された作家の一人だった)。永見君はトラック運転手をしながらお金を貯めて独立し、薪窯を設けたという。登り窯にすると設置に費用がかかるということで、薪で焼成する単窯をつくって頑張っているとの話だった。
 そのように努力しているのはわかるが、つくっている物が寒々しい焼きものだった。釉薬の取り合わせや、かたちがお粗末で、どこかで見たような物をただ真似ているだけ。眺めていると気持ちが暗くなる印象を受けた。
 ただ永見君からは、伝統の窯を担いながら生きていく職人的な仕事ではなくて、個人的な志をもって陶工として生きていこうという意識をとても感じた。価格は安いし、ガス窯や電気窯、灯油窯などの安易な窯で制作するのではなくて、効率の悪い薪の単窯で制作していこうという志は立派だと思った。それで、何か良いところを見出さなければいけないという話を多々納さんと交わしたのだった。

薪の単窯を訪ねる

 出雲平野を貫く斐伊川を8キロくらい上流に遡った三刀屋町に、山寺の峰寺という有名な古刹があって、その参道沿い(参道沿いといっても、全て山の中である)に永見君が窯場を構えているという。多々納さんからは一度訪ねてあげてくださいと言われていたので、時間を見つけて訪問した。 山中に掘立て小屋のような家があり、ひっそりと永見君が仕事をしていた。つくった物をよく見てみると目に留まる物があった。それは生地の上に白化粧土をして焼いた、何の変哲も無い皿だった。 「このシンプルな物は良いではないか」と言うと、「えっ、こんな物が良いの?」と永見君。
 まったく装飾も施していない、皿の上に化粧土が載っかっただけの物だった。何も無くて良いから、これをつくるべきだと私は進言し、注文をすることにした。湯飲みやご飯茶碗や5寸、6寸の中皿など、あたりにホコリをかぶって転がっているものを手にして、細かな仕様を伝え、とりあえず全部白掛けして欲しいと頼んだのだ。

独特で素朴な白化粧

 それからしばらくして「久野さんと会ったことが嬉しかったです。注文していただいた物が出来ています」という内容の手紙が届き、私は窯を再訪した。出来上がった物を見ると、一生懸命つくった跡があった。一目で良い物だと思ったが、白掛けの白土が少しグレーがかっていて冷たい感じが気になった。そして、この冷たさを解決しなくてはいけないと思ったのだ。
 永見君は島根県石見地方の浜田の陶土を使っている。彼は経済的にも恵まれていないので、自分で土を掘りに行ったり、陶土屋では削りカスをもらってきたりしていた。白化粧土は天草系の土だが、それも他の窯元の削りカスをもらってきた物だった。
 薪窯で焚くと、鉄分の多い土は黒味がちになる。白化粧土とのコントラストで、白がいっそうと映えるのだ。それを活かさない手は無い。永見君の焼いた物が少し曇って見えるのは、釉薬が厚いことが想像できた。そこで釉薬を少し薄くしてみてはと話した。「薄くなると恐い」と永見君。「いや、大丈夫だ。石見の土は火に強い土だから、多少のことでも揮発しないから釉薬を薄く掛けても大丈夫だよ。安心してやってみなよ」と私。
 化粧掛けしないで透明になる釉薬を掛けるだけにすると、釉薬の中の木灰が非常に強く残り、モスグリーンの品の良い色になる。この色と白掛けをコントラストにすれば、より良い製品になるとわかった。
 それから1年くらいはかかったのだが、白掛けしてから透明釉を掛けると生地の部分がモスグリーンになり、白化粧掛けした部分が少し黄色みがかった色になった。その柔らかく品の良い色は、これからの時代には受け入れられるだろうと感じた。小鹿田焼や沖縄、あるいは出西窯の白色とは全く違う色。素朴さが感じられる色だった。民藝の健全性みたいなものを理解する人にはきっと理解されるはずだと思った。


モスグリーンと柔らかな白が上品な日用使いの食器

ガレナ釉薬を推薦

 私はさらに、さまざまな食器類の提案をおこなった。白土と灰釉を基調にして、次々と製品化していったのだ。
 永見君は船木研児さんのところにいたものだから、布志名系のガレナ釉という黄色みが特徴の釉薬も使えた。これは島根県宍道町来待から採れる来待石を砕いた釉薬。この釉薬も現代的な製品をつくるには適したものではないかという提案をした。そして新しいデザインを次々に施していった。
 こうして彼の仕事に関わって3年ほどした頃には日本民藝館展にも私が出品してあげることができるようになった。すると、数年後に奨励賞を受賞し、彼は出雲の民藝陶器の担い手として名前が知れ渡るようになるのだ。


調味料入れとグラタン皿。左がガレナ釉薬を用いた器

社会的な志を持つ、希有なつくり手

 永見君の仕事ぶりは非常に誠実だし、私と同じ世代ということもあり、協力し合って社会に立ち向かっていくという意識が非常に強い。そのため、出雲の民藝協会の青年部の運動にも彼は積極的に参加してきて、若い人たちをぐいぐいと引っ張っていったりした。同時に、私が工藝店を設けながら、こういう民藝の普及運動をしていることも深く理解して、よき協力者として私が地方に出向いた時には同行してくれたりして、ずいぶんと助けてくれた。
 彼は社会的な志を強く持った人であり、ものづくりも華美を狙ったり、肩書きを狙ったりすることは何も考えなくて、ひたすら日用の暮らしの道具づくりに徹している人なのだ。

「もやい工藝」の定番製品となった、パスタ皿。
 永見君も年齢が56〜57歳になったが、これからも良き協力者として付き合ってくれると思うし、新しい仕事を展開していく時に、彼が今までつくってきた物、これから残していく物は有意義だと思う。
 現代はどうしても効率やコストを考えると、若いつくり手が窯を持つと、ガス窯、灯油窯、電気窯にしたり、土もあちこちから取り寄せて、安易な仕事をする人が多い。ところが永見君は薪の単窯にこだわり、陶土も釉薬も島根県のものを用いて、清く貧しく美しくという精神で仕事をしている。彼は私たちの世代の良いところを伝えてくれる、つくり手の一人だと思う。
 永見君が現在、つくっている物の中にたとえば「キタニ鉢」という鉢がある。以前、鳥取民藝美術館の木谷氏が連れて行ってくれた鳥取のイタリアンの名店で用いていたパスタ皿に私の目が留まり、そのかたちで永見君につくってもらった。このように、永見君のつくるものは、伝統的な物ではなく、新しい物だ。私たちユーザーの要望を聞く耳を十分に持っている。
 彼のような生き方を若い陶工が学び、健全な道を歩むのだったら、たとえ過分に恵まれなくても、ひとつの方向性を持った仕事が可能なのである。さらに、使う人をとても喜ばせることができるのだ。 手仕事フォーラムの活動を通じて、永見君のような社会的な志を持った、つくり手を増やしていきたいと、私は考えている。

(語り手/久野恵一、聞き手・写真/久野康宏)


こんなパターンの深皿もある

装飾を排したシンプルなご飯茶碗
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