手仕事調査Kuno×Kunoの手仕事良品

Kuno×Kunoの手仕事良品

#031 [小鹿田焼 坂本茂木さんの仕事]大分県日田市 2008.08.22

小鹿田の窯にて。坂本茂木さん
(撮影/副島秀雄)

眼の作用

 坂本茂木さんはさまざまな意味で天分を持った人だ。文学的センス、芸術的センスなど、すべて兼ね合った才能。そういう才能を持つ人は何万人に一人は、必ずどこかにいるものである。茂木さんはたまたまその一人だった。違う道を選んでいれば、また生まれたところの環境によっては、他でも卓越した仕事ができた人であろう。 そういう天分を持った人がはじめは嫌々ながらも陶工の仕事をしなければならなかった。また、この道に入っても、すぐにロクロの仕事はできず、雑用のみしか、やらせてもらえなかった。まだ19歳で、やるせなさのようなものを感じていた時に、英国人の陶芸家、バーナードリーチが小鹿田にやって来たのだった。
 おそらくこの時に、彼は第一の自己変革をする機会を得たのだと思う。リーチは、小鹿田だけではなくて、山陰地方をはじめ各地の窯場や木工所も回り、新作づくりのアドバイスを伝えていった。職人たちは多大な影響を受け、日本の民藝が盛んになっていった。同じく民藝運動の先達で、陶芸家の濱田庄司よりもむしろ、リーチの方が具体的に指導してくれたのではと思えるほどだ。しかしながら、製法については、リーチが教えたわけではない。まして濱田庄司や河井寛次郎が教えるわけでもない。
 良い職人のもとにつき、良い職人のつくる物を目で追っていけば、その通りに佳い物をつくれるようになるものだ。しかし、下手な職人につくと、下手な仕事しか覚えられないので、つくり手はおのずと下手になってしまう。ところが世の中には下手な職人の方が多い。良いつくり手の職人はそうたくさんはいるわけではない。
 茂木さんがついた坂本晴蔵さんは、職人としては上手な人ではなかった。どうして茂木さんが上手なつくりの仕事をできるようになったかというと、リーチさんのつくりかたをそばで見ながら、製法の根本的な部分を眼で追ったからだろう(眼の作用)。しかも、意識的に眼で追ったのではなく、眼と体が一緒になって、感覚的にその場で技術が備わってしまったのだと思う。優れた職人は、すぐに佳い仕事を眼にしたその場で習得できてしまうのである。10年、20年と経験を積んでも、なかなかものにならない人がいるけれど、1日か2日で一気にものになる人もいる。これは、工芸だけの話ではない。あらゆる世界でも通じることであろうが。


茂木さん作の7.5寸深鉢。線で枠をつくり、その中に飛び鉋で模様をわずかに入れている。白い化粧土と飛び鉋によって彫られた黒い点の色、そして縁の内側から外へと少し巻いた飴釉の色。この3色の色によってモダンな感じを抱く。こういう感覚を備えている点が茂木さんの素晴らしさだ

佳いつくり

 焼物の場合、佳いつくりかどうか見極めるポイントは「天」と「地」だ。湯呑を例に挙げてみよう。湯呑のかたちで重要なのは、まず縁づくりがきちんとしているか。飲み口が素直に口に当たるのか、飲んだ時にこぼれないようにできているか。これが「天」である。 そして、手に持った時の当たり具合、さらに高台のかたちがきちんとしているかも見る。これが「地」なのだ。
 上手なつくり手は高台や縁(ふち)のかたちがきちんとできている。そうすることでいちばん脆い外の部分が破損しにくくなるのだ。 そして、しっかりつくっている器物は佳く見える。いわゆる「用即美」である。用即ならすべて美しいとは限らないが、「用即美」ができていなければ、基本的に見るべき物の対象とはならない。「用即美」ができているか否かは、数多く物を見てくると、ひとつの流れがきちんと見えるようになるのである。
 茂木さんの仕事で感心するのは、若い頃から今にいたるまで、つくっているもの全てが縁も高台もきちんとできているということだ。
 以前、茂木さんに「これはどうやってつくっているのか?」と尋ねたことがあった。
 「自分は当たり前のようにつくっているだけで、誰からも教わったわけでも、こうしろと言われたわけでもない。自然と体がそういうふうにつくっている」と茂木さんは答えた。 これまでの民藝に関する書物に、職人というものは何千と物をつくっていくと、手が勝手に動いてつくりだすのだという記述がある。だが、必ずしもそうではなくて、訓練でつくらされて出来上がる人と、訓練されなくてもできる人、まったくできない人がいる。茂木さんはさほど訓練しなくても、数を多くつくっているうちに、自分の体でつくり方を覚えられているのだ。


三者三様の湯呑を裏返して高台の削り具合を見比べる。茂木さんの場合(左端)はいとも簡単に高台の削りが取れている。柳瀬朝夫さん(中央)は削りがやや甘い。浩二君(右端)は頑張って削ろうとしている努力が削りから、よく見える。小鹿田で茂木さんのように、さりげなく高台を削れるのは他に黒木力さんがいる。しかし、力さんは80歳を超えた高齢で今は面影もなく、ここでは比較できないが、かつての力さんは茂木さんと同じように、さりげなくできた。今の若い人たちにはできないし、想いを持って取り組む姿勢も無い。そういう意味では、朝夫さんにも深くえぐるようにと、ずいぶんと私が注意したことできちんと削り取れている。小鹿田の陶工のつくる物が全部同じというわけではなく、このようにつくり手の姿勢がそれぞれかたちに現れることを知ってほしい

陶土の特性

 小鹿田焼に用いる陶土はきめが細かく、粘りが強いために、焼くと急激に縮む(収縮率が大きい)。焼くと、陶土は上から乾いていくため、どうしても歪みが下の方に出てくる。そのため、ロクロをひいた時に、高台の径が狭いと、上方の重さで翼が落ちるがごとく成型した物の腰の部分が垂れてしまう。こうした性質のある陶土できちんとした焼物をつくれているということは、良い職人であるとわかるのだ。
 茂木さんの焼物を裏返して、高台の取り方、削り方(ロクロで成型された素地は不要な厚みを取り除くために、器の底部や腰の部分を主にへらなどで削る。高台はこの削りでえぐり出されることが多い)、そして全体のかたちを見ていくと、やはり茂木さんと黒木力さんの二人は群を抜いて上手だということがわかる。小鹿田焼の場合、高台の裏をきれいに削り取っても、焼くと下の方に歪みが出てくるために、削った高台がもう一度盛り上がってきてしまう。そのため、きれいに削ったと思っていても、焼き上がると、さほどきれいには思えなくなるのである。ところが茂木さんの物は焼き上がり時に高台がきれいに取れている。黒木力さんもそうだ。この二人は相当なつくりの実力者である。
 かといって、茂木さんが他の職人よりもたくさんの物をつくったかというと、遊び心の多い人のため、仕事の量はそれほど多くは無い。それなのに、仕事がきちんとできるのは、やはり類い稀な人なのである。
 茂木さんは、濱田庄司の好んだかたちで、よく彼の作品にある、濱田型と呼ばれる湯呑をつくる。そのため茂木さんの湯呑は、民藝型だとか濱田型だとよく揶揄された。しかし、小鹿田焼自体があちこちからさまざまなかたちを見本にしてつくっている窯なので、誰のかたちを採り入れようが関係ないのだ。茂木さんは濱田型をベースに、小鹿田の陶質に合った、高台が狭く、腰に膨らみをもたせた独自の良いかたちの物をアレンジしてつくりあげた。その優れた物が数百円単位で買える価格であることが凄いと思う。

優れた皿

 皿のつくりについて言えば、縁を広めにしてツバを付けた、いわゆる「ツバ広の縁付き皿」を茂木さんは手がけている。これは小鹿田の過去の歴史自体には存在しない皿だ。小鹿田は皿山とも呼ばれるが、皿ばかりをつくっていたのではなくて、陶業地のことを北九州では一般に皿山と呼ぶ。もともと小鹿田には皿をつくる技術は無くて、壷、龜類、せいぜい深めの大鉢をつくっていた。皿はおそらく注文があった時に見様見真似でつくったくらいだろう。
 日本民藝館にある、小鹿田でつくられた昔の皿を見ると高台が無い。ベタ底になっている。ベタ底の底をそのまま「ハマ」という焼物道具に載せて焼く。高台があれば重ねて焼けるが、昔の焼物はベタ底のために一枚ずつ焼いていたことがわかる。小鹿田はそんな程度の所だから深めの皿しかできないのだ。高台を付けて重ねられるようになったのはごく最近のことである。
 このように皿づくりの伝統が無い所で茂木さんが、あたかも伝統が脈々と息づいているような皿をつくるということは、彼がどこかで優れた皿を見て、それを真似ているのではなく、自分のものとして会得してしまっているのだ。
 私が36年前、この仕事に入った頃、縁が付いた深々としたかたちして、大胆な打ち掛け(柄杓に取った釉薬を、器物の表面に勢いよく振りかけ、その流れや滴りによって文様を表現する技法)を施した皿を見て圧倒されたことがあった。その皿は茂木さんのつくった物と聞いてさらに驚いた。誰も真似できない物をいとも簡単につくってしまうのは、彼がよく物を見ているわけでもない。彼はよく見ている暇、余裕は無いだろう。だが、そういう皿をつくれるのは、どこかで見かけたら、彼の体の中でそのまま消化してしまうのだ。それはやはり彼の天分だと思う。
 茂木さんのロクロ仕事から生まれるかたちをきちんと見ていくのは大切なことだ。坂本浩二君の仕事を私はよく評価するが、浩二君はそのことをしっかりと受け止めている。茂木さんの高台の取り方や皿のつくり方を彼は非常によく見て、参考にして懸命に頑張っているのだ。その成果があって、最近はようやく底の裏側がきりっと取れるようになってきている。
 浩二君に話を聞くと、どんなに深くえぐったとしても、焼いてしまうと、たわみで元に戻り、厚くなるのだという。削るカンナをかなり鋭利に研いで、下手をすると、皿に穴を空けてしまうくらいのぎりぎりのラインで取らないといけないのだそうだ。しかし、茂木さんの場合は、そうでないといけないというのではなく、そういうものだと体が勝手に動いて、自然とぎりぎりのラインで取っている。そこが彼の仕事の優れている点だ。


左の黄色い方が茂木さん作。右の飴色の強い方が浩二君のていねいな仕事ぶりが見た目にも伝わってくる大皿。櫛描きの線に両者の違いが明確に出ている。非常にていねいな浩二君の線に比べて、茂木さんは動物的ともいえるほどの力強さを感じる。ちなみに茂木さんと浩二君は同姓だが、親子ではなく、隣どうしの窯元だ

茂木さんが制作した大皿

天下の名人

 茂木さんの仕事を見ていくうちに、ある時、私の嗜好する小鹿田の模様技法によって、茂木さんに器の制作を依頼した。刷毛を打ち(「打刷毛目」と呼ばれ、ゆるやかに回転を与えたロクロ上で平刷毛を打ちたたくようにして厚めに濃く白土を載せていく)、櫛描き(板切れや竹べらを刻み、陶工が自作した何本かのくし目を持つ道具で器の表面を撫でるように引く)や指描き(素地に掛けた化粧土を指でさすりながら素地に馴染ませつつ、余分な化粧土をかき取り、文様にする)してもらおうと考えたのだ。
 まずはロクロでひいて刷毛を打ったところで私の嗜好で指描きをしてもらった。小鹿田で刷毛を打つのは、ロクロで成型して、乾かす前に、ロクロ台の上の生の成型物にいきなり白化粧土を刷毛で落としてから、刷毛を打つ。
 飛び鉋模様を施す場合には成型した物をいったん乾かしてから白化粧土を載せて、さらに乾かして、半乾きで、やや堅めにして飛び鉋を打つ。しかし、刷毛描き、櫛描き、指描きする時には成型したところですぐに白化粧で刷毛を引いて模様をつけるのだ。 私の望んだ指描きによる線は山並みのような大らかなものだが、茂木さんの指描きは速い。鋭角的にシュッシュッと波打つように描いたのだった。
 私の思っていた指描きと異なるために、唖然としていたら「なんだ、これはいかんのか?」と茂木さん。しかし、その模様の納まりが良かったことと、指や櫛で一本の線を入れた時に、私の思っていた以上のものが瞬時にできることに感嘆した。その高い技術のレベルは他のつくり手とは明らかに違う。名工というものはそういうもので、現実に存在するのである。茂木さんは天下の名人だと思う。
 沖縄にはかつて金城次郎という名人がいた。彼のロクロ技術は高くなく、つくりそのものは良くない。彼は優れた工人ではないが、優れたつくり手ではあった。類い稀な芸術的センスを持った人がそのままつくってしまう。だから彼がつくるものは焼きそこねを含めてすべておもしろいのである。 茂木さんは金城さんとは違う。超優れた工人の中から出てきた、才能を持った名人だ。民窯の中では傑出したつくり手であり、陶工としてはナンバー1の人だと思う。もちろんロクロ技術など極めて優れた技術を備える人は他にも存在するけれども、それらの人たちを越えた仕事をできるのが茂木さんなのだ。


3枚の皿を比較。左は茂木さん作、中央が柳瀬朝夫さん作、右が浩二君作。
茂木さんと浩二君の皿は飛び鉋の文様が、朝夫さんの皿には刷毛目が施されている

茂木さんの皿はてらいも何も無く、すべてが自然と兼ね備わっている。高台を覆っている白いものは「目砂」(めずな)という。化粧土をつくる時に出る、砂の粗い部分で固まったものを水に溶かして高台の輪に載せて重ねると、釉薬が底に付着せずに、焼けている時に剥がれる

朝夫さんの皿はつくりも含めて素朴さが一段と強い。また、てらいが無さ過ぎる。もう少してらいがあっても良いように思う

理詰めで物事が見えていて、仕事にも方向性を持って臨む
浩二君の皿は仕上がりがきれいで、モダンな暮らしに
受け入れられやすい

仕事を継ぐ、伝える

 茂木さんの仕事を受け継ぐのはなかなか難しい。しかしながら、その良さというものを受け継いで、自分の流儀に戻して、その仕事を継続していこうという気構えがあるのが浩二君だ。
 超名人としての茂木さんの仕事がきわめて優れているものであると認められ、よく理解して、その仕事を、その力を自分のものにして頑張るということは、やはり優れた伝統を継続していくということにつながるのだと思う。浩二君が大物から小物まで熱心にそのことに取り組んでいる。彼は非常につくりがきれいだし、仕事ぶりがていねいだ。現代にマッチしたものであろう。ただし、素朴さがやや欠ける場合がある。これも年齢を重ねていくうちに実感して気づくことと思う。
 茂木さんは、優れた仕事ぶりに加えて、ある意味、破天荒な気質や性格が魅力でもある。むろん家族の人たちにとっては、それは大迷惑かもしれないが。茂木さんの話す言葉はすべて文学的だ。くだらないことを言っても笑ってしまうし、その言葉の中から文化を感じ取れるのだ。こういう人は地方に行くと、ごく稀に出会うことがある。あらゆるものが凝縮して小鹿田・皿山という谷あいの狭い地域が生み出した異質な人間なのかもしれないが、やはりそこは地域があってこそ、彼が存在したのだろう。
 彼の仕事をもっともっと世間に認めさせればよかったかなと考えるけれども、認めさせることによって小鹿田の歴史が変わると、またいけなかったから、これはこれでよかったのかもしれない。 茂木さんのような異端児がまったく知られないままに消えて行ってしまうのではなく、実は日本の文化というものを背負っていたのではないかと思う。彼の仕事を知った以上、事例として私は取り上げていかなくてはいけないのだ。
 いずれ、こういった話をもとにして茂木さんを紹介する本、優れた仕事を伝える製品集を著す機会も設けたいと考えている。

(語り手/久野恵一、聞き手、写真/久野康宏、副島秀雄)


茂木さん作の、わずか3寸の小さな豆皿。切っ立ったかたちと、しかも飛び鉋文様を適度に配しているのが良い。伝統を越えて、今の若い人にも受け入れられるような感覚の物だ。高台を見ても、ぎりぎりまで削り取っているのがわかる。これも意識してやるのではなく、当たり前のようにできてしまっている点が、優れた技術の持ち主であることを裏付けている

あたかも機械できれいに型抜きしたような印象を受けるほど、高台の削りがきちんと取れている湯呑。これも茂木さんならではの仕事ぶりだ
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