手仕事調査Kuno×Kunoの手仕事良品

Kuno×Kunoの手仕事良品

#032 [尾崎利一さんの竹細工]鹿児島県姶良郡加治木町 2008.09.28

薩摩半島で竹細工を探す

 私は毎年秋に催される日本民藝館展において、沖縄から青森までさまざまなカゴやザルなどの編組品を集め、出品してきた。日常的な実用品づくりに徹し、自己表現ができず、展覧会に制作した物を出すなど毛頭にも考えていない制作者のかわりに出品をして、日本の手仕事が健在であると示すために、その人たちの仕事の存在を明らかにしていくのだ。私の日本民藝館展の出品に対する姿勢は、この展示会の趣旨にかなった物を選び、また、かなうようにアドバイス、注文して、責任をもって、引き取るのである。
 むろん、誰のつくった物でも良いというのではなくて、各地方の中でも上手なつくり手を見出してきた。とりわけ、竹細工は日本各地に、その地方色を表すかのような、多種多様な製品がある。
 その竹細工の生産地として有数な地域といえば、鹿児島の薩摩半島だ。私はそこへ、年に3〜4回は出かけていた。鹿児島市の郊外には、地元の竹細工を絶やさないために、7〜8人の良いつくり手たちを集めて廃校になった小学校で共同作業をさせて、販売は県の第3セクターがおこなう「小山田(こやまだ)竹製品振興組合」が結成されていた。約40年前の民藝ブームの時期には、全国各地の民藝店がここに竹製品を注文していた。
 私もこの仕事に入って、当然、組合を訪ねた。すると東京や京都など私の知っている民藝店からの注文をたくさん受けていて、注文書を見ると、鹿児島県らしくない物をリクエストしているケースがとても多いことがわかった。それは別府の竹細工のような、洒落てこぎれいなつくりのもの、またはデザイン化された物をずいぶんとつくっていて、違和感を覚えた。他の地域でもつくられているような物しかつくらないのだったら、私があえてこの組合と関わる必要は無いと思ったのだった。
 私はその頃、友人になった、現在は龍門司焼の理事長である、川原史郎君宅に寝泊まりしていた。龍門司焼の窯は鹿児島空港に近く、鹿児島市内から1時間ほどかかる加治木(かじき)町の山の中にあった。そこを訪ねるたび、その地域に竹細工製品があるか探ると、加治木市内の国道10号線沿いに「白尾商店」という酒屋があって、竹細工製品を天井からたくさんぶら下げて販売していることがわかった。店主に聞くと、東京や岡山の老舗民藝店と取引をしていて、年に1回か2回、注文書が来て品物を送っているという。白尾商店は姶良(あいら)地方の竹製品を集めて売っていた。私は鹿児島の竹細工といえば薩摩半島だけと思っていたら、他にも各地域に竹細工をする人がいることを知った。そこで、姶良方面をくまなく歩くことにしたのだ。

竹の目利きとの遭遇

  姶良では、竹細工職人の池平静哉さん(当時80歳)に出会えた。池平さんは材料の竹の手配を、素質の良い竹を見分ける目をもつ人に頼んでいると言う。そんな人がいるのかと驚いていた時に、ちょうど竹を持ってその人(当時は60歳台の)尾崎利一(としかず)さんが池平さんのもとへ訪ねて来た。ちょうど、尾崎さんの話題をしていた時に現れたものだから、なんという偶然かと思った。 尾崎さんはここから車で40分ほどの、姶良の山の上に暮らしているという。軽トラに竹をたくさん積んでいたので、これからどこに納めに行くのか聞くと、小山田の竹製品振興組合に行くとのことだった。
 尾崎さんのそばで、こんな物をつくってくれないかと池平さんに相談していたら、尾崎さんが「私も昔、とった杵柄で竹細工づくりも始めているのだが、つくっている物を小山田に持って行ったら、小山田の人たちから注文を受けた」と言う。
 尾崎さんは、昔、竹細工を島根県で学んだことがあったとか。もともとは高知県の生まれで、妻が鹿児島の人のために、今は姶良で暮らしていること、たまたま島根県の匹見(ひきみ)に働きに出たときに、そこに竹細工をする人が何人かいて、そこで教わったということを話してくれた。
 竹細工の手伝いをしているうちに興味を抱いた尾崎さんは、姶良にある竹の山を見ては、良い竹を採って、土地の持ち主に交渉して、安く分けてもらっていた。そして、竹細工をする人に、その竹を供給する仕事をしているのだという。
 小山田地方に竹を納めに行き、この地方の竹細工製品を見ているうちに自分も真似て制作してみた。すると、小山田の人が感心して、あなたは上手だからつくってくれないかということで、このごろは専門ではないけれど、時々手がけているのだと言う。 それならば今度訪ねるからと、家の場所を聞き、翌日、早速、尾崎さんの家に出向いたのだった。


シラス台地の崖の下で、焚き火に当たりながら作業をする尾崎さん(写真/鈴木修司)

南国の仕事スタイル

 彼は切り立ったシラス台地(周縁を急崖に囲まれた比高100m〜10m程度の台地が広く分布する、鹿児島の特徴的な地形)の崖の下に、小屋のような家を建てていた。訪問時は12月のとても寒い時期で、尾崎さんは外で焚き火に当たりながら仕事をしていた。なんとも美しい姿で、薩摩、南国の竹細工とはいかにもこのようなものかという風情だった。この今でも変わらない仕事のスタイルに惚れてしまった。人柄も非常に優しい人。奥さんも素朴な好人で、訪ねるたびに歓迎してくれるものだから、たびたび出向くようになったのだ。
 尾崎さんは小山田竹細工振興組合の下請けで、別府の竹細工製品のような、技に凝ったつくりの物を多く制作していたが、私はそれらを気に入らなかった。この地方でつくっている、昔ながらの物をつくってくださいよと頼んだのだ。
 姶良では米を上げるザル「米上げジョケ」(鹿児島地方ではザルをジョケと呼称する)や、そうめんやうどんなどを載せて食べるための小ザルだとか、あるいは貝を掘りに行った時に貝を入れる貝テゴ(鹿児島地方ではカゴのことをテゴと呼ぶ)。そこでそのような一般の実用品をつくってもらいたいと頼むと、「ああそれは白尾商店で売っているような物だね? あんな物だったらいつでもできる」と尾崎さん。
 それなら、つくってみてくださいということで、私の注文品は別府向きではなくて、実用的な物へと切り替えてもらったのだ。しかも、別府竹細工ゆずりの仕上げのきれいさも得意としているので、実用的でありながら、それでいて都会的なカゴづくりが期待できる。


尾崎さんの片口ソウケ。

島根のかたちをしたザル

 尾崎さんも他の鹿児島の竹製品に共通した縁づくり「柾(まさ)割り当て縁」をしていた。これは縁を巻くのではなく、肉厚で巾広の竹ヒゴ4枚を征で割り揃えて縁に当て、それをヅヅラと呼ばれるフジ蔓(ツル)で等間隔に巻き止める縁づくりのことだ。同じような編み方は日本各地にもあるが、九州の他の地域では巻き縁になる。だから不思議だなと思った。 出来上がった物を見ると、鹿児島的ではない、ふっくらとしたかたち。それは島根県の山の中で見られる、「ダンガメソウケ」の造形に似ていた(やや長円型で深めの笊は、伏せると盛り上がった亀の姿に見えることからそう呼称。岡山、鳥取、島根の中国山地では、米上げ笊は「ソウケ」という名称で呼ばれる)。
 そのことを伝えると、「あんた、ダンガメソウケを知っているのか?」と尾崎さん。どうしても昔つくった物にかたちが似てしまうのだと。
 かたちが似る理由は、縁の巻き方にあった。竹細工の縁には柔らかい一年生の若竹の皮を巻くのが通常。これを「巻き縁」という。さらに柔らかい笹竹系を用いる場合は、「矢筈(やはず)縁」という巻き方になる。島根のソウケの縁づくりは鹿児島地方と同様、征割りの当て縁で、巻きとめる蔓はツヅラでなく針金を多く用いていた。 つまり、尾崎さんのつくるザルは竹細工を最初に学んだ島根地方の特徴を受け継いだために、島根のかたちになってしまったのだ。
 しかし、そのふっくらとしたかたちはなかなか良い。竹の質が島根と鹿児島では違い、鹿児島の方が竹に粘りがある。しかも厚めにつくれるから、製品が豪快に見えるのだ。 私は尾崎さんのザルのかたちがすっかり気に入って、いろいろ注文をしては、知り合った27年前から毎年、日本民藝館展に出品してきた。入選、入賞が目的ではなく、こういう仕事が薩摩の姶良地方でできるのだということを見せたかったのだ。


これが柾割り当て縁

竹細工の転化法に希望

 ところがこの10年の間に、ちょっと尾崎さんの力が落ちてきた。さらに景気悪化と、小山田竹細工振興組合の制作者である、おじいさんたちが仕事を辞めてしまって、竹細工をつくる人がほとんどいなくなってしまった。ところが組合が残っている以上、竹細工を売らないといけないということで、尾崎さんが組合の下請け業者のようになって、組合の製品の一部をどんどんつくるようになった。 
 しかし、分厚い竹を編む力が無くなってきた。竹を薄く削いで、薄めの竹で編んでいく仕事の方が楽だから、そっちに切り替わっていってしまったのだ。
 私はそれもやむを得ないと思い、この頃はあまり文句を言わず、尾崎さんには別府的な小洒落た物をお願いしている。彼のつくる華奢な物はとても上手で、きれいな仕上げなので、店に置くと喜ばれる。そんなわけで、尾崎さんはここ5〜6年、別府的なつくりの中に、荒っぽい素朴さも兼ね備えるような物をつくるようになった。
 尾崎さんは薩摩の竹細工師でありながら、薩摩らしからぬところがある人。素朴で、非常に人間的で温かい人だ。しかも自分で竹を採りに行くから竹を見分ける目を備えている。今は一緒に竹山には入れない状態だが、どの竹が竹細工に適した物であるか、竹山を歩いて、竹を選ぶ職人の優れた目をもう少し前に教わっておけばよかったと後悔している。
 私は、尾崎さんの仕事を見て、竹細工にも希望があると感じた。地域で優れた仕事を現代的な物へと転化する場合、クラフト的な、あるいは芸術的なものもうまく組み合わせれば、素朴な物へと展開できるということだ。技術を持った人と巡り会うことができれば、そういうことも可能なのかなと思う。これからは地域性が大事であるけれど、ある程度、他所のものも取り入れて今の物に転化していくことも必要なのかなと考えているのだ。

(語り手/久野恵一、聞き手/久野康宏、写真/久野康宏、鈴木修二、北川周)


細部までていねいなつくりの、瀟酒な買い物カゴ(写真/鈴木修司)

素朴さとモダンさを合わせ持つ、手提げ吊りカゴ。洋のリビングにも違和感なく溶けこむ(写真/北川周)
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