工房内でロクロを回すあーちゃん。
飛びカンナ模様を打っているところ(撮影/鈴木修司)
大らかで土着的なかたち
坂本茂木さんのもとを訪ね、家に泊まらせてもらった時、茂木さんは「彼は俺の言うことをよく理解してくれるから」と朝夫さんを呼んでくれた。当時、私の物を見る眼はまだ定まっていなかったけれど、10軒の窯元の中でも茂木さんと朝夫さんのつくる物はとりわけ魅力的と目に映った。朝夫さんのつくる焼き物は明るくて大らかで、素朴なかたち。茂木さんは鋭敏なセンスを感じさせる、かたちをつくる。朝夫さんはセンスというより土着的な茫洋としたようなかたちの物をつくっているのだなと思った。 そうして茂木さんの窯出しに通うようになると、当然、朝夫さんの方にも顔を出すようになる。そんな時、自分も注文したいと朝夫さんに言うと「つくっちゃる。何(なん)が欲しいのかい?」と朝夫さん。私は日本陶芸展で目にした茶壺や代表的な飴釉薬に刷毛目を打った、2斗入りほどの大きな壷が欲しいと答えた。 そう調子良く注文しつつも、まさかつくってくれるとは夢にも思わなかった。秋頃の話なのだが、年が明け、朝夫さんからの年賀状が来て驚いた。「注文した壷が出来ているから取りに来てくれ」と書かれていたのだ。 早速、春に受け取りに行った。私は注文にきちんと応えてくれる誠実さに感激し、朝夫さんとのつき合いが始まった。 やがて彼との人間関係も深まり、会話を重ねていくうちに、注文の際、単に「ご飯茶碗を刷毛目(はけめ)模様でいくつ」というのではなく、かなり細かい注文をしても、応えようとする人であることがわかった。もともと小鹿田の窯元は地元の業者とのつき合いから始まった歴史があるため、受注生産方式をとっている。その流れを汲む朝夫さんは大雑把な注文ではなく、細かな模様やかたちの指定をしても、応えてくれるのである。 私が小鹿田を訪ねるようになる少し前まで日本民藝館の職員が現地に派遣され、日本民藝館に蔵品されている良い物を真似てつくるよう指導。小鹿田焼の蔵品すべて、寸法から見方まで撮影した写真集が10軒の窯元に渡されていた。つまり、その資料を見ながら注文する方法も選択できたのである。 当時の日本民藝館が良い仕事を守ってもらおうと小鹿田焼に力を注いでいる事実には驚いたが、坂本茂木さんの話によると、その資料を参考にしているのは数軒で、写真集すらどこにあるのかわからない窯元もいるとのことだった。茂木さんと朝夫さんは資料を克明に眺めつつ、かつての良き仕事の復興制作にも取り組んでいた。私も良い物とは何なのか、よく見極めて注文していけばいいのかなと考えた。 |