Kuno×Kunoの手仕事良品

#042 [三上幸男さんの根曲竹細工] 青森県弘前市岩木町 2009.7.28

 青森県津軽、岩木山麓周辺には、昔からアケビ蔓、山ブドウ蔓の皮、イタヤやシナの木などの樹皮、根曲竹(ねまがりだけ)などを用いた農具をつくる人がいたことは民俗誌に記されている。平成に入って間もなく、日本民藝協会の手仕事調査で各地の手仕事を探ろうとしていた私は、まだ昔の仕事が残っているのではと、弘前市郊外の西目屋(めや)村へと向かった。学生の時、またこの仕事に入って間もない頃に西目屋は民具の調査で訪れたこともあり、当時の記憶を頼りにしながら現地を再訪したのだった。

 この村では箕をつくる最後のつくり手といわれる三上秀五郎さんに会い、イタヤで制作した箕を見せてもらった。そのついでに箕に加え、イタヤで漏斗(じょうご)制作も依頼した。漏斗はお米を袋に入れる際に必要な物。その伝統的な漏斗がとてもいいかたちをしているので前から手に入れたかったのだ。
 三上秀五郎さんにこの周辺ではアケビ蔓やら根曲竹細工をしている人がたくさんいるのか尋ねたら、「この辺は弘前市内の業者から頼まれてパートでつくる人がそこここにいる」と答えた。さらに、いちばんの元締めは三上幸男さんであり、自分でもつくるし、他から集めて実用品として売りさばいてもいる人だと教えてくれた。岩木山山麓の岩木町で聞けば彼の所在はわかるという。それで私は雪の中、車で岩木町を訪ねたのだった。
 この集落は三上姓の表札ばかりだったが、一軒、一軒門戸を叩いた末、三上幸男さんのもとへたどり着いた。お宅に入ると、ちょうど作業の最中だった。しっかりとした顔立ちの人で、津軽弁で頑固者を指す「じょっぱり」という言葉があるが、まさに頑固一徹の面構えをした職人だった。ただ、なんとなく優しそうな目をしていた。
 三上さんは周辺の人たちに自分が伐り出してきた竹を支給し、自分のつくった見本を見せてカゴを編ませていた。それらを集めて車に載せて北海道や津軽半島周辺から下北半島で売り歩いていた。

 

岩木山の山麓風景。リンゴの花が咲いている(撮影/久野恵一)

 

竹カゴを制作中の三上幸男さん。気骨ある顔をしている。昭和5年生まれで現在80歳(撮影/久野恵一)

 

5歳ほど年下の、三上さんの奥様が根曲竹で編んでいる。名前は恥ずかしがって教えてくれなかった(撮影/久野恵一)

 

リンゴの手カゴ

 

 三上さんは収穫したリンゴを入れる手付きのカゴ(以下、リンゴの手カゴ)を見せてくれた。このカゴは東京の民藝店でも売っていて、こんなにも手のこんだ仕事の物がこの程度の値段でいいのかと思うほど安価だった。それゆえ、そのカゴをつくる人とつくられている作業場を目のあたりにした時、私は感慨にふけった。

 三上さんはつくったリンゴの手カゴを保管している倉庫へと案内した。大きなプレハブの倉庫を開けた瞬間は真っ暗だったが、電気をつけると、そこにはカゴが20段ぐらいにうず高く積まれていた。2000〜3000個はあるという話だった。どうして三上さん個人がこんなに大量に持っているのかと驚きながら尋ねると「このへんはリンゴ収穫の時期になったら、どこの農家もこのカゴを使う。一時はプラスチック製のカゴに変わりそうになったけれど、これはリンゴの肌を傷めてしまう。でも根曲がり竹は柔らかいので、リンゴを傷めない。それで収穫の時にはどこの農家も使うのさ」と三上さん。

 三上さんは他にもさまざまなカゴをつくっているが、弘前市内では有名な三上工芸、宮本工芸も同じようにこの地方のカゴを卸していると言う。これらの工芸店は東京の民藝店と取引しているが、実用的なカゴを売っているのは三上幸男さんだけだった。三上さんは民藝店ではなくて漁業関係者や農家を回っては売り歩いていたのだ。

 

積まれたリンゴの手カゴ。これは5月に写したもの。11月の収穫時までに部屋が一杯になるまで貯めていく。三上さんは一日約200個ものリンゴの手カゴを仕入れ、一日に1000個も売ったことがあるとか。相当大きな商売をされていたけれど、利益はあまりとらず、あくまで実用品として販売してきた(撮影/久野恵一)

 

リンゴ取り入れカゴ。リンゴの手カゴとも呼ぶ。青森県はリンゴの産地だが、コンテナに比べると根曲竹のカゴは粘性があって柔らかいため、リンゴが当たっても傷まない。そのため今も農家がリンゴの収穫時にはこのカゴを多用し、今でもカゴは一冬で2000個はつくられているとか。実際のカゴは縁巻きがもっと簡単なのだが、これは縁巻きをしっかりとしてもらった。また、これだけ太い持ち手が付いているので、リンゴの加重がかかっても壊れない。農作業のみならず都会でも実用的な物である

 

漁業衰退のアオリを受けて

 

 三上さんの作業場でつくりかけのカゴに目が留まった。これは何に使う物か?と聞くと、ホタテ養殖が盛んな北海道、噴火湾の漁村で使われる「ホタテ蒸シ入リカゴ」で、数多く売り歩いているのだという。しっかりとした手を付けて、目が細かく、細工がきれい。これこそ用の美にかなっているなと感心した。その後、私は日本民藝館展の新作展や仕事日本展にもずっとこのカゴを出品していくことになった。根曲竹を用いた製品の中では日本を代表する物といってもいい。
 この約20年前の初訪問以降、数年に一度、三上さんの作業場に立ち寄ると、たいてい行商に出ていて不在だった。それでも新しい製品があると奥さんから見せてもらって、自分の店に妥当な物を買い取ったりした。その際、もう少し目を細かく(小目に)して欲しいと頼むと、特別注文品として小目で仕上げてくれたり、力強さを出すために胴巻きに一本紐を巻いてもらったりした。 私は三上さんとの会話から、てっきり安定した仕事なのかなと思っていた。ところが、今年5月に訪ねると、ふだん行商に出ているはずの三上幸男さんが在宅していた。珍しいですねと声を掛けると、「ワシはもう商売を辞めた」と答えるではないか。

 この頃は漁業をやる人が北海道でも少なくなってきて、下北半島も津軽半島でも漁業が急激に衰退。追い打ちをかけたのが昨年末の石油価格高騰だ。漁師たちが船を出さなくなり、とても生活していけないと漁業を辞める人が増えてきた。 そんな状況ゆえ、今のうちに仕事に見切りをつけた方がいいのではないかと三上さんは自身あるいは周辺のおばさんに依頼して細々とつくる程度に事業を縮小しようと考えていた。すぐに仕事を辞めるのではないが、少しずつ辞めていく方向にもっていくつもりだと三上さんは話した。

 三上さんが農業よりも漁業の方に行商の力を入れていた理由は、農家は農繁期には田んぼや山で仕事をしている。その人たちの所へカゴを持って売りに行っても居ないことが多い。また仕事中に訪ねなければいけないので先方も大変だからなかなか商売がうまくいかない。しかし、漁師は魚を獲りに行かない日にはほとんど家にいるので、その時を狙っていけば、当たりがあるそうだ。そういうわけで漁業関係者相手の方が商売しやすいのだと言う。

 

ホタテ蒸シ入リカゴ。鰯(イワシ)カゴとも呼ぶ。リンゴの手カゴに用いる根曲竹の太い物を用いて、粘り気が強い上質な竹で編む。目をとても細かく編んでいるのが特徴。編み目は6角の目が開いているので、六ツ目編みともカゴ目編みとも言われる。このカゴを漁業用に使うのは北海道の内浦湾(噴火湾)と津軽湾。各漁師はこのカゴでイワシを運んだり、養殖するホタテを入れてこのままお湯に浸ける。この作業を繰り返すためには、強靭な竹を用いなければいけない。緻密に編まれ、しかも造形的に素晴らしいかたちをしている。耐久性もあるし、目が細かく、仕事がていねい。これこそ根曲竹から生まれた用と美を備えた一級の民藝品として推薦できる物だ

 

新作に取り組む

 

 三上さんは幼い時から代々、この仕事に携わってきた。三上さんの暮らす集落では、特に50年ほど前には集落中で竹細工づくりをしていた。制作する物のほとんどがリンゴの手カゴだったとか。三上さんはそれらを集めては売り歩いていた。素材の根曲竹は岩木山麓だけでは十分な数が集まらなかったので、八甲田山の方へも営林署の許可を得て入って採りに行っていたそうだ。

 しかし、リンゴの手カゴだけではとても生活していけないので、40年ほど前から、いろいろなカゴを考え始めた。それは民藝ブームとの関わりに影響されているのではないかと想像する。

 その当時、弘前には相馬貞三(ていぞう)氏という柳宗悦を師と仰ぐ熱心な民藝の先輩がいて、新しい民藝品の開発に尽力されていた。この人の影響もおそらくあって弘前周辺で新作民藝品がつくられ始めたのだろう。とくにカゴや竹、アケビ、山ブドウという東北地方独得の素材を用いた物が流行りだした時期に、三上さんも新しく、少しでも高い値段がつく物を制作しようとしたのではないだろうか。当時は注文もかなりあったそうだが、そんな仕事に取り組みつつも、北海道を回り、漁業関係者に売り歩いてきたそうだ。

 ちなみに三上さんはまだ車が高価だった時代の早い時期に車を入手している。北海道は車が無いと回れないし、車があれば車中泊できるからとのことだった。

 そうした仕事をしてきたため、三上さんはかなり世間のことを知っている。社会の流れを知っているから、将来、自分の手仕事には見通しが無いと三上さんは予想し、リスクを負わないよう即断したのだろう。それで、昨年の石油高騰の時、行商を一気に辞めてしまったのである。

 

茶碗カゴを応用して今風にアレンジした脱衣カゴ。根曲竹の素性を利用して持ち手をつくり、全体のかたちを楕円形にした。今の生活にも向いた、暮らしの良品として推薦できるカゴ。見事に根曲がり竹細工の伝統を活かしている

 

これはもともと目がもう少し太めで大雑把な物だった、ビール瓶を運ぶ瓶下げカゴ。昔は1本の1升瓶だけを入れたのだが、ビール瓶を入れる旅館などからの注文を取るために三上さんが考案した物。ビール瓶が3本、縦に並んで収まる 大きい方は、持ち運びに便利なように手を付けた「手付け楕円深カゴ」。しっかりとした編み方をして、耐久性を熟慮している。底部近くの立ち上がりに太めの線を入れた上、高台を設けているので地面にも置ける。小さい方はおそらく民藝品としてつくられた物。俗に石けんカゴと呼ばれ、石けんなどを入れるのに使う、いわば流行した「民芸品」だ。これと同じ根曲竹のカゴが長野県戸隠にもある。柳宗悦先生の暮らしぶりを撮影した、50年以上前の岩波映画にこのカゴへおしぼりを載せて食卓で使っているシーンがあった。それを見て私は少し嬉しくなった。民藝品はこんなミニチュアにしてもいいのか、といった意見もあるが、素材を上手く利用して今風の物に置き換えても、佳い物は佳いという証拠であろう

 

もともとは手が付いていなかったと思うが、お茶碗を入れて伏せておく茶碗カゴだ。手を付けて持ち運びしやすいようにした。横編みは4本。縦の寸法のわりに組みが細かいのが見てわかる。これは頑丈かつ汚れを防ぐためだと思う。茶碗カゴとしては最適な物である

 

これも現代的にアレンジしたと思われるチリカゴ。円形のカゴ編みを上手く利用して長めの物をつくった。これはいずれランプシェイドにしてみようかなと考えている

 

聞き取り調査もたいせつ

 

 津軽地方の人は本音を語るまで時間がかかる。気候風土からか、口が重たいので、話を聞き出すことは難しいのだ。北海道や下北半島、津軽半島を回って、貧しい漁業、農業関係の人たちを中心にこういうカゴを苦労して売ってきた仕事ぶりから想像すると、三上さんは昭和のさまざまな暮らし、とくに北東北地方の暮らしを身近に肌で感じてきた人に違いない。こういう人からは、つくる物だけではなくて、過去の時代が何を必要としていたのかを聞き出して、未来に向けて手仕事を含めた文化を見直していくのに参考とすべきであろう。

 残念ながらホタテ蒸シ入リカゴは三上さんのみしかつくれないと言っていた。また、目が細かいカゴも三上さんが手を引くと、おそらくできなくなる。三上工芸と宮本工芸という民藝品をつくり販売して広めている業者が抱える職人ならばつくれる可能性はあるが、値段は相当に高い物になるだろう。民藝品というよりも工芸品的な値段として売買されるはずだ。だとすれば、三上さんのような仕事の流れを今の人にも伝えていくことで、この仕事を絶やさないようにできればいいなと私は考えている。

 しかし、なんといっても嬉しいのは、未だに数千個以上のリンゴの手カゴを周辺のリンゴ業者が使っているという事実だ。11月ぐらいになると、リンゴ収穫期のニュースがテレビに流れるが、収穫の際に必ずこのカゴが転がっているのを見てとれる。ただし、それらの多くは縁をポリ塩化ビニールで巻いてある。縁巻には、粘りは無いけれど柔らかい一年物の竹を使いたいところだが、一年物の竹は相当に質が良くないと巻けない。これだけの数を満たすにはポリ塩化ビニールの物でなければ、たぶん間に合わないのだ。

 

リンゴの手カゴを応用して考え出したと思われる買い物カゴ。底を高くして、手を2本にして持ちやすくしてある。また、目をさらに細かくして中の物を見せないよう配慮している。これも都会でも実用的に使える、とても佳い物 買い物カゴには高台が設けられ、地面に置ける仕様になっている

 

(語り手/久野恵一、聞き手/久野康宏、写真/久野恵一、久野康宏)