ピッチャー(水注)をご紹介します。
日本においては、木器、漆器が発達していたため、昔の焼物による水注はほとんどないのではないかと思います。伊万里で、手付きの注ぎ瓶を1600年代後半から作っていますが、これも、ヨーロッパからの注文に応えて、作られた物です。従って、ここでご紹介する水注も、今の物です。
まずご紹介するのは、小鹿田の名工の作品です。なんの解説もなく、ただただ、この物を見て頂きたいと思います。
(白地線彫青差し)
次にご紹介するのは、すでに亡くなられた作家の作品です。
(柿釉青流し)
以上2点は、いずれも味のある作品です。そして、いずれも持ち手の付け方などにバーナード・リーチの影響が感じられます(一枚目の作品は、リーチのデザインそのものですし、二枚目の作品はリーチと共に英国で作陶していた作者ですので、当然と言えば当然なのですが……)。
次に、下の2点は、益子の作家の作品と島根県の出西窯の作品です。出西窯の作品は現在も作られていると思われます。水注の様々な形、模様、?薬をご鑑賞下さい。
(地釉鉄絵)
(飴釉)
以上4点の作品で、水注のおもしろさの一端でもご理解頂ければ、幸いです。
なお、最初に記したように、日本には昔から、焼物の水柱がなかったのか、について、以下の作品を参考として、ご紹介します。
(白地窯変)
(伊万里赤絵)
1枚目の作品は小鹿田の作品です。バーナード・リーチの影響が及ぶ以前から小鹿田にあった形で、畑に肥料を蒔く水注と聞いた事があります。
2枚目の作品は1700年頃の伊万里の手付き瓶です。酢を入れた物です。
手仕事フォーラム 横山正夫 |