プレス掲載

2004年9月24日 毎日新聞掲載

「手仕事ニューウエーブ」宮大工の気概伝えたい 富山佐々木利幸さん
佐渡奉行所復元、さらに日々精進 20代で棟梁に抜てき

 神社仏閣などの伝統的建物を維持する技術が急速に失われつつある。富山県福光町の宮大工、佐々木利幸さん(35)は運送会社社員から宮大工に転職し技を磨き、20代で棟梁に抜てきされた。最近手がけた国史跡「佐渡奉行所跡」の復元工事は地元関係者から高く評価された。「自分の仕事を続けることによって何が伝えられるかが最大のテーマ」と佐々木さんは自ら職人の気概を語り、手仕事の健在ぶりを示してくれる。[編集委員・平野幸夫]

「佐渡奉行所跡」の建物の復元を任されたのは、新潟県・佐渡島の相川町(現在、佐渡市)が約20億円をかけて焼失した奉行所を復元するために宮大工を探していたのがきっかけだった。
 地元に大普請を任せられる棟梁がおらず、全国的にも宮大工の技術水準が名高い富山県井波町の棟梁に相談があった。佐々木さんが棟梁として工事のさい配を振ることになった。経験が重んじられる宮大工の棟梁には40、50歳以上になってつくことが一般的で、周囲は驚いた。
 佐々木さんは8人の宮大工を率いてまず奉行所の大御門(高さ7メートル)を復元。昨年初めからは江戸時代に金を精製していた勝場棟の復元に取り組んだ。平屋建てだが、延べ床面積は300平方メートルと広く、丸太をそのまま使うため秋田県まで出かけて材料のマツを吟味した。宮大工は材木の良し悪しを見分ける目利きにも優れていなければならない。
 佐々木さんは、どこまでも昔の技術にこだわって復元に没頭し、夏までに木組みが美しい風格のある勝場棟を完成させた。「呼んでもらえて職人冥利に尽きました。いつかは五重塔や国宝級の建物などの文化財の仕事もしたいですが、それよりも普段の仕事をどうやっていくのかが大事」と佐々木さんは謙虚に話す。
 散居村が点在する砺波平野で生まれた佐々木さんは高校卒業後、地元の運送会社に就職した。5年が過ぎて順調すぎた会社勤めに物足らなさを感じた。その時、父嘉紀さん(62)の仕事だった大工に目が向いた。9歳の時、父が使ってたさしがねをまたいで、ひどくしかられたことが思い出された。
 「さしがねを侍の刀と同じように扱え」と戒められた意味を初めて理解でき、厳しい世界に身を置きたくなった。23歳になり、数々の名工を生み全国にその名が知られる井波町の宮大工棟梁の門をたたいた。
 ゼロからのスタートで何からしたらいいのか分からなかった。夜は自宅で遅くまでカンナ削りの練習を繰り返した。修行を続けるうちに、木によって同じ力でも削り方が全然違うことが体得できた。3年目で近所の神社新築工事の棟梁を任せられた。20歳代の棟梁の誕生だった。その後の精進が認められ、佐渡奉行所の仕事につながるのだが、決して浮かれることなく地元の神社や仏閣の修理など地味な仕事に打ち込んでいる。
 「自分にプレッシャーをかけ続け、時には逃げ出したくなる時もあります。しかし、自分がどうして仕事をして人生を過ごすかということを常に考える職人でいたい」と心情を語る。

 メモ 田園地帯に屋敷林に囲まれた農家が点在、海の島のように美しい景観が見られる砺波平野周辺では約200年前から全国屈指の木工技術が栄えた。井波町には伝統彫刻から現代の工芸作品が見られる「井波彫刻総合会館」(0763-82-5158)事業所「佐々木大工」のホームページはhttp://www1.tst.ne.jp/ssksyaji/