プレス掲載

2004年10月 現代農業 2004年11月増刊(農文協)掲載

懐かしい未来がみえてきた

みんなの気持ちが集まる場所さえあれば
「小さな村」には希望がある 沖縄「共同店」、宮城「なんでもや」「手仕事フォーラム」 民俗研究家 結城登美雄

みんなの気持ちが集まる場所さえあれば
「小さな村」には希望がある

沖縄「共同店」・宮城「なんでもや」・手仕事フォーラム民俗研究家結城登美雄
(ここでは手仕事フォーラムの部分のみお伝え致します。)

工芸の手仕事と百姓の手仕事をつないだ「手仕事フォーラム」

 バラバラになったものを、もう一度つなぎ合わせたいという試みは村づくりに限らない。便利なモノに囲まれ充実していたはずの暮らしの内部でも、自分とモノの関係を問い直す動きがはじまってる。
 宮城県鳴子町でこの秋開かれた「手仕事フォーラム」。ここで問われたテーマも、暮らしの道具の作り手と使い手の距離の問題であった。
 かつて柳宗悦によって提唱された民芸運動も、高度な消費資本主義社会の商品化の波にほんろうされ、民芸が本来もっていた用と美のバランスがあやうくなっている。使う相手の姿を見失って商品化や作家性という自己目的に走る作り手たちの閉塞感。民芸を使うためではなく、所有することの自己満足のために買いあさるブランドコレクターのような消費者。道具から、作る、使う、暮らす、生きるという生活性や労働制を消し去り、財としての評価で流通されている民芸品。
 こうした状況に危機感を抱いた日本民芸協会常任理事の久野恵一さんは「手仕事フォーラム」設立の思いをつぎのように語る。「手仕事は、美しい自然と人のつながり、地域社会の歴史と風土、そして長年の技術的伝統から生まれます。しかし、こうした本来の手仕事を取り巻く環境は、大量消費社会が生み出した今日の環境問題と同様、現在はきわめて深刻な状況下にあります。私たちはこれを文化の環境問題としてとらえ、問題の本質を話し合い、問題解決に向けて活動するために、手仕事フォーラムを設立しました。私たちの関心は作り手に向けられ、本物の『手』を求めて全国を歩いています。その活動を通して、『手』は自然と地域社会が守り育てるのだといことが改めて見えてきました。そして文化の環境問題は現代の農業や林業などが抱える問題と同根ではないのか・・・というテーマも見えてきたのです。この一歩踏み込んだ問題を話し合うために、私たちは農村の原風景が健在な宮城県鳴子町の石の梅地区を選びたいのです」
 手仕事を取り巻く問題は文化の環境問題であるといい、それは農業や林業が抱える問題と同じであるといい、それを一歩踏み込んで話し合いたいと申し出られて、私に断る理由はない。いや、むしろ本気で話し合いたい。そう答えた。この十年、東北の農山漁村を訪ね歩きながら人に会い、たくさんの話を聞きながら思い知らされたことは、百姓仕事とは手仕事であるということ。たとえ機会を使って土を耕そうと、種をまき、間引きをし、支柱を立て、せん定し、作物を育てることは手仕事の積み重ねであることをあらためて知った。
 東北の小さな村でたくさんの百姓という手仕事人に会い、いつしか私も手の仕事人になりたいと思うようになった。手の力を私も身につけたいと思った。そして二、三年前から息子とともに農業をはじめるようになった。だが、一方で、その百姓の手仕事のゆくえは、時代が寄せる表層的な職への関心とは裏腹に想像以上に深刻であることも同時に思い知ることになった。農の手仕事のゆくえは私たちの社会の根幹にかかわるものでありながら、予断を許さぬ状況にあること。しかし農の手仕事を農にかかわる者たちだけで解決にあたることは限界がある。もっと多くの人びとと、もっと異なる仕事の人びととつながって考えなければならない。そう思っていた矢先のことだった。

「雪町」−手仕事の国・東北
 もうひとつ、手仕事に関する私のささやかな体験と思い出があった。昭和三十五年、中学を卒業した私は山形県新庄市にあった農林省の農村工業指導所で一年間、ホームスパンの研修を受けた。民芸運動の祖、柳宗悦の影響下にあった父が、体の弱い私の将来を考えて、手仕事を身につけさせようとしたらしい。その指導所は農村にある地域資源を工芸や工業の視点からとらえ直し、衣食住の生活向上と農家経済に資するという目的で設立されたもので、そのルーツは昭和八年、雪国の農村振興のために設けられた「農林省積雪地方農村経済調査所」(略称「雪調」)だった。雪調の活動は多岐にわたったが、そのひとつの柱に副業としての農村工業の振興があった。それはやがて初代所長山口弘道と柳宗悦、河合寛次朗との出会いにより、雪国の民芸運動に発展していった。さらには建築家ル・コルビジェの仕事上のパートナー、インテリアデザイナーのシャルロット・ペリアンの参画指導により数々の雪国工芸の花が開いていった。
 稲ワラというありふれた素材がランドセル・雪兜・折りたたみ式寝台や椅子などのみごとな民芸になっていった。その輝かしい手仕事の歴史の流れの末席に私もいたのだということを、ささやかな誇りにもしていたのだが、のちになって柳宗悦が『手仕事の日本』という著書の中で、「東北は手仕事の国である」ときっぱりと評価しているのを読み、手仕事に対する私の思いは決定的なものとなった。
 雪国の寮生活の中で、羊にまたがりその毛を刈り、草木の染料で羊毛を染め、一ヶ月余りをかけて朝から晩まで毎日糸を紡ぎ、織機にかけてパッタンパッタンとさらに一ヶ月。ようやくにして一着分の着地が織りあがる。ホームスパンはひとり孤独な作業の日々ではあったが、少しずつ紡ぐ毛糸が大きくなるうれしさ。折りあがっていく喜びを少年ながらも味わうことができた。とはいえ、わずか一年の研修である。何ほどのものが身についたわけではないが、農と工芸はけっして別々のものではない、との思いはいまになっても消えることはない。

 誂え合う暮らしを再び地域に
 使う相手を思いながらコツコツと作る手仕事、工芸。食べる』相手の笑顔を思い浮かべて育てる手仕事、農業。「東北は手仕事の国である」と呼んだ柳宗悦の心を、私なりにそう受けとめたい。
 しかし、残念なことに、その二つが少しずつ離れてしまった。すべてを買う暮らしにゆだねてしまっているうちに、身近にそうした人びとがいることさえ忘れてしまったかのような東北の人びと。地元によりよい暮らしの道具を作ってくれる人がいるしあわせ。もう一度、作り手と使い手の距離を縮めたい。そのためにかつてあった「誂える暮らし」の内実を問い直してみよう。
 鳴子町石の梅地区で行われた「手仕事フォーラム」は四十都道府県から陶磁器、染織物、木漆工品、硝子、金工品、和紙、竹・蔓・樹皮・草藁の編組品など三百余点が湯治宿いっぱいに展示され、名人「達磨」高橋邦宏さんの手打ちそばを味わうというぜいたくさのなかで、さらに庭先で宮城教育大学「みやび座」の田植え踊りというあでやかさを楽しみ、「誂える暮らしを再び地域に」との共通認識を確認して終了した。それはもう一度、暮らしの現場からつながって、よい地域をつくろうという呼びかけでもあった。
 
 「旅は他火」
 −グリーンツーリズムみやぎ鳴子大会
 いま鳴子町では、手仕事フォーラムを支えてくれた人びとや、それを通じてつながった人びとを中心に、行政の協力を得ながら、「第二回 全国グリーンツーリズムネットワークみやぎ鳴子大会」の準備が進んでいる。
 思えば都市と農村の距離もいつのまにか遠く離れてしまっていた。ともにつながってお互いの生きる場のこれからを考えたい。そんな思いからの集まりである。いささか宣伝めいて気がひけるのだが、手仕事のさと、鳴子からのメッセージ「旅は他火である」を紹介してペンをおきたい。
−民俗学によれば旅の語源は「他火」にあるという。他火とはすなわち他人または他の地にともる火のこと。火はいうまでもなく暮らしの中心。中心はゆるがずに確固としてありたいものだが、それを許さないのが世の常。それゆえ人びとは、己の火がゆらぎはじめると、それを整えなおすために旅に出たという。そして、他人の火にあたり、たくさんの知恵と考えと技をみやげにもらって再び村へと戻っていった。
 旅は他火である。現代のグリーン・ツーリズムでもまたその心は同じではなかろうか。人に会い、火を囲み、心を打ちあけ語り合い、それぞれの知恵と経験を交換する。そんな出会いの場が、もっともっと必要になってきた日本。都市が行きづまり、農山漁村がゆらぎ、停滞を脱しきれずにいる日本。いつまでもこのまま漂ってばかりもいられまい。
 千年の湯の町、宮城県鳴子町。この町と東北各地にともるやさしい火をつなぎ集め、語らいと体験と交流の場を用意しました。日本各地でグリーン・ツーリズムに取り組む人びとと、その可能性と広がりについてじっくりと話し合いたい。お互いがもっている経験と知恵という薪をもちより、その火を大きく、強く燃やしたい。
 東北、宮城、鳴子で会いましょう。